佐佳枝廼社

福井市大手3-12-3(平成20年11月2日)

東経136度13分16.25秒、北緯36度3分40.61秒に鎮座。

この神社は、福井市の中央。福井県庁の西側300m程の辺り、ビルの並ぶ中に鎮座しております。嘗ては城内の東照宮であったようですから、戦前は絢爛豪華な社殿であったと思われます。今では市の中心部らしく、駐車場の上に鎮座すると言う、すっかり都会風の神社となっております。我々も神社下の駐車場に車を留めての参拝となりましたが、15分(多分)迄は無料!。勿論我々も15分以内で参拝を済ませました。

当佐佳枝廼社は、寛永五年(1628)福井城城内社として東照権現徳川家康公の神霊を勧請したのに始まる。
明治六年、福井藩祖松平秀康公の偉業を称えて合祀するに当たり、春嶽松平慶永公により、佐佳枝廼社と命名された。
明治十四年、県社に列せられ、同二十四年十一月には、春嶽公の御遺徳。幕末における御功績を景仰し、公をも合祀申し上げた。
昭和十五年の春嶽公五十年祭には、勅旨の御差遣を忝うし、皇室の御崇敬も厚く旧福井城下の守護神として、社頭は常に賑わいを見せていた。
然るに、昭和二十年七月大東亜戦争停戦直前の焼夷弾攻撃により、全市は焦土と化し、次いで二十三年六月の、福井地方直下地震による家屋の倒壊・火災で、再度市内その周辺は壊滅状態に陥った。この二度に亘る災害で、神々しい御社殿も、桜の名所と称えられた神苑も悉く失われた。
しかし、すぐ復興の気運が高まり、翌二十四年、松平康昌殿、三井e子殿、岡田啓介殿の御助力により、京都下加茂の三井家祖霊社を譲り受け、拝殿として移築・復元し、また昭和三十年には、北陸初のの鉄筋コンクリート入母屋造りの御本殿が造営され、昭和四十六年には参集殿「福栄殿」も建設された。
当神社は福井市の要請のもと、戦後大陸から引き上げ帰国した人々、戦災で焼け出された人々の為に、外境内を仮住地として提供し、当初は門前町としてあたかも浅草の仲見世通りの如き商店街が形成され賑わったが、震災後の都市計画により減歩された土地での仲見世は、四十四年の星霜を経て、建物は老朽化し、市中心部として相応しい景観を望む声が高まった。
そこで全国でも初の、神社を中心とした、福井市御屋形地区第一種市街地再開発事業が、市当局、仲見世商店街(約八十戸)、荘厳なる神苑整備を望む神社側の合意のもと、松平家を始め、氏子崇敬者の方々、広くは市民大方の賛同を得て進められ昭和五十八年準備組合設立、同五十九年本組合結成。同六十三年二十九日地鎮祭斎行、同八月十日仮殿遷座祭斎行。・・・・・
境内由緒書より。全文はこちら。

佐佳枝廼社公式サイトはこちら。

神社入り口。後ろは福井ワシントンホテル。

鉄の灯篭

拝殿

本殿

栄稲荷神社と社号標

稲荷神社の下が駐車場出口となっています。