火産霊(ほむすび)神社

福井市手寄1丁目19-19(平成24年6月3日)

東経136度13分39.53秒、北緯36度03分19.60秒に鎮座。

 この神社は福井駅の南東約350mに鎮座しています。福井市の中心部にあり、周囲は商店や住宅に囲まれています。入口には「旧秋葉神社 火産霊神社」と記された社号標と明神鳥居が立ち、北に向かって参道を行くと、境内の入口にはこの地域には珍しい岩狛と構えの一対の狛犬が居ます。境内正面には、唐破風付き入母屋造りの拝殿と、奥のガラス覆いの中に本殿が建立されています。

 御祭神:火産霊大神
 祭礼日:5月24日
 由緒:区民に通称「秋葉さん」と呼び親しまれている当社は明治5年に火産霊神社と改称された。
 創立は、福井藩祖松平秀康公が下総国結城(茨城県)に在城の頃、防災の神と崇めていた遠州秋葉神社の、御分霊を慶長6年(1601年)北の庄(福井)に転封の際、彼地より移し、当所は元豊島下町に鎮座されたが、戦後現在地に移転した。馬鹿ばやしは朝倉家の御用商人多田善四郎氏が城の橋通りに住みその人の伝授で、町内の人々が祝祭日などに披露していたのが始まりと言われ、福井県無形文化財に指定されている。(「境内案内」より)

 社伝によると、創祀は福井藩祖結城秀康が下総国結城に在城の砌、遠江国(静岡県周智郡)秋葉神社の分霊を城内に勧請、慶長6年(1601)当国北庄(現福井)に移封せられるや居城の東南端今の地に移した。以後防火神と崇められ、藩の祈願所と定められて、歴代城主の崇敬するところであった。
明治5年福蔵院秋葉神社を火産霊神社に改称。明治23年豊島下町に鎮座在りしを境内がせまいため隣地を買収し、地籍手寄中町に遷座した。昭和3年11月13日幣常神饅料供進社に指定。昭和20年戦災、昭和23年震災を受けたが昭和28年本殿、昭和38年拝殿、昭和51年10月神楽殿改築と順次復興、建築され現在に至る。なお、当神社には県指定(昭和37年)の無形文化財「馬鹿ばやし」という芸能が伝承されている。この芸能は朝倉家家臣多田善四郎により伝えられたもので、概略すると、無台の中央に大太鼓を据え、片脇に笛・太鼓・鉦の麟し方を設け、面を付けた者がお難しに合せて大太鼓を打つのである。その際のしぐさが面に合わせたもので、特異な味が披露されるのである。また、その際に使用する面は昭和20年の未曽有の福井戦災にも免れ、現在37面が残されている。中には越前国に伝わる能面師の出目作、春日作で
あると言われる。なお、免れた理由は、大正14年建築の煉瓦造り倉庫が戦禍から免れたからである。合わせて明記すると当神社の御神体も当時宮司出征の中で、留守を守った同夫人の手により戦禍の中をくぐりぬけて現在に至っており、20年毎に御開扉が行れている。(サイト「福井県神社庁」より)

社頭
神社入口に立つ明神鳥居
社号標
「旧秋葉神社 火産霊神社」
鳥居に掛かる額
参道の様子
手水舎
珍しくお狐様の口から手水が出るようです。
境内入口
境内入口にいる岩狛と構えの一対
多分昭和の生まれと思いますが、この地域では珍しいのでは?
狛犬の拡大写真はこちら
唐破風付き入母屋造りの拝殿
拝殿に掛かる額
拝殿木鼻・狛犬
ガラス覆いの中の本殿