足羽神社

福井市足羽上町108(平成20年11月2日)

東経136度12分45.59秒、北緯36度3分17.47秒に鎮座。

 この神社は福井駅の西約1kmほどの足羽山に鎮座しています。境内は足羽山公園の一角にあり、足羽山トンネルの丁度上にあたります。
 神社南参道入口には珍しい内宮源鳥居が建っています。社務所まで真っ直ぐ続く参道右には亀の背に乗る足羽宮之碑があり、明和年間に52代宮司・善卿の夢想によって掘ったと伝えられる霊泉・綱長井も健在のようです。
 参道左側には入口を入ってすぐに小径があり、小さな丘の上に菩提車六地蔵とも呼ばれる六地蔵宝塔が建立されており、その先には小さな笏谷狛犬が護る末社が三社祀られ、その向こう、木々の枝越しに僅かに本殿の屋根が見えました。参道に戻り、先に進むと左手には紅葉が微妙な色合いを見せる紅葉の大木が聳え、境内中央には市指定天然記念物・シダレザクラが見事な枝ぶりを見せています。
 左に90度曲がった参道の先には大きな拝殿が建ち、その奥には本殿が建立されているのですが、ここから本殿を拝することは出来ません。本殿左脇に出雲構え獅子の姿が見えますが、右側も狛犬はどこからも見えませんでした。
 社殿を背に参道を真っ直ぐ進むと表参道の鳥居があり、石段の途中には樹齢400年ともいわれている見事な市指定天然記念物・タカオモミジが聳えていますが、ここから先には降りませんでした。
 又、この社の南約150mの足羽山山頂には継体天皇像と山頂古墳跡が有るので、併せて掲載しました。

 御祭神:継体天皇、大宮地之霊(生井神 福井神 綱長井神 阿須波神 波比岐神)、合祀:大穴持像石神、事代主命、少彦名命、柿本人麿、耳皇子、武小廣國押楯命、宇多天皇、天國排開廣庭命、素盞嗚尊、菅原道真公
 祭礼日:1月1日・歳旦祭、1月15日・左義長祭、2月3日・節分祭、2月11日・建国記念祭、2月中旬・太子祭、4月14日・足羽山招魂社春季例大祭、5月14〜16日・神幸祭・春季例大祭、6月30日・大祓式(夏越の大祓)・河原之大祓(人形流し)、8月15日・終戦記念祭、9月19〜21日・秋季例大祭、12月23日・天長祭、12月31日・大祓式・除夜祭
 合祀式内社:越前國足羽郡 土輪神社、式内社 越前國足羽郡 山方神社、式内社 越前國足羽郡 御門神社、式内社 越前國足羽郡 於神社、式内社 越前國坂井郡 都那高志神社
 由緒:五世紀後半ごろ、男大迹王(後の継体天皇)が越前でお過ごしの間に越前平野の大治水事業をされますが、まずその初めに朝廷に祀られている大宮地之霊(坐摩神)を足羽山に勧請し、諸事の安全を祈願したのが足羽神社の起源とされています。
 第26代天皇として即位をされ越前を発たれる時に、「末永くこの国の守り神とならん」と、自らの生御霊を鎮めて旅立たれて行かれました。それから継体天皇が主祭神として本殿中央に祀られています。
 足羽神社では古来朝廷を初め、世々の将軍、国主等によって尊崇の祭典を連綿と執り行ってきました。中でも桓武天皇、文徳天皇、朱雀天皇におかれては神位を授けられ、宇多天皇におかれては右大弁(律令制の官名)によって、毎年11月に17日間の「鎮魂祭斎行之儀」を宣下せられました。また世々に御厨地を置かれるなど、その神田地や臨時祭、神職等に関して、源頼朝を初め、将軍足利家、国主朝倉家等々の古文書や国史旧記等に歴然と記されています。
 そうして中古以来は武家伝奏執奏の社格にて、江戸時代社主44代に至るころには、41人が奉仕していました。
 しかし天正兵乱の際、社家の多くは滅び、神田は廃れ、神域もわずかに残るのみとなりますが、柴田勝家がこの国を治めるに当たり、足羽の神を深く尊信して、社殿を修理し祭供をされる事により、昔の規模には及ばずとも、著しくその社格を落とすまでには至りませんでした。
 その後は国主松平家代々の崇敬が深く、永世の神供物として毎年米二十俵を献じたり、創立御鎮祭の年を紀元とし、50年毎に「勅許宣命」並びに「御宸筆」を受け式年大祭を斎行するのを定例とされました。
 北朝貞和5年、光明天皇御宸筆下賜「大宮地」、文政12年5月の例大祭を以って下賜された仁孝天皇御宸筆「大宮地之霊」の額字が国宝に指定されていましたが、先の大戦にて宝物庫と共に焼失しました。
 近年では明治33年の橋南の大火、昭和20年の福井空襲、同23年の福井大震災などにより社殿は焼失倒壊しましたが、その度に再建され昭和34年に整備完了となりました。その後は昭和51年に御鎮座15000年に当るのを以って大祭をあげています。
 平成19年には継体天皇御即位1500年を祝し、本殿幣殿拝殿の増改修、社務所増改築をはじめ境内整備を行い、奉祝大祭を斎行しました。(足羽神社公式サイトより)

由緒書きはこちらで

神社南参道入口
社号標
「縣社 式内足羽神社」
南参道入口に建つ内宮源鳥居
亀の背に乗る足羽宮之碑
文政13年(1830)3月、継体天皇崩御1300年を記念し、城下石場町の富商等が建立。亀の背に石柱が乗ってその上部に蛇(竜の子)が乗っているというのもで、台座の亀の頭尾、足はそれぞれ外れ、それを回しながら雨乞い神事をしたと伝えられています。
綱長井
 明和4、5年(1767、8)、52代宮司・善卿の夢想によって掘ったと伝えられる霊泉。
六地蔵宝塔
元禄14年(1701)6月、松玄院第8世・ェ応等が開眼導師となり、常陸国(茨城県)真壁郡小栗庄下館という処の真誉ェ入によって建立されたもので、菩提車六地蔵とも呼ばれています。六角石の上部に六地蔵の彫刻、中央内部に六角形の木製車輪があり、これを回転させると、災難を免れるといわれています。
末社三社
末社を護る笏谷狛犬 末社に横たわる先代狛犬
末社を護る笏谷狛犬
縦置きで、小さいながらも歯を剥き出し長い間石の祠を護る姿は健気そのもので、表彰ものです。
狛犬の拡大写真はこちらで
南参道左に聳えるモミジは紅葉を始めたばかりのようで、様々な色合いを見せ、又格別な風情があります。
市指定天然記念物・シダレザクラ
約360年間、「足羽さんのしだれざくら」として市民に親しまれてきた名木です。これまでも長い歴史の中では何度となく災害にあって来ました。
近年だけでも、明治33年(1900)の橋南の大火や、昭和20年の福井空襲の戦下をくぐりぬけ、更には雪害などの受難で一時樹勢も衰えましたが、その後は回復して毎年訪れるれる人々の目をを楽しませています。
拝殿前、昭和12年生まれの狛犬
阿は玉に前足をかけ、吽は親にそっくりな子狛を連れています。やや信州タイプの顔つきをしています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和12年(1937)9月建立)
拝殿
拝殿内の様子

木々の間からほんの少しだけ垣間見られる本殿
本殿後方敷石の角に左側のものだけだけが見える出雲構え獅子
正面参道からの境内入口に建つ台輪鳥居


市指定天然記念物・タカオモミジ
表参道の石段真ん中にあり、シダレザクラとともに古くから知られた銘木です。樹齢は400年ともいわれています。そのせいでしょうか、近年も雪で枝折れがあり、その寿命が危惧されています。


足羽山山頂の継体天皇像と山頂古墳跡
足羽山公園内にある
継体天皇と山頂古墳跡
山頂古墳 継体天皇像
足羽山頂から見た福井市の町並み