神明神社

福井市宝永4-8-1 (平成25年10月20日)

東経136度13分20.90秒、北緯36度03分55.59秒に鎮座。

この神社は、福井城跡の北北西400m程の辺り、福井市の中心部に近い市街地に鎮座しております。

御祭神 天照皇大神

當社の起源は、皇大神宮が伊勢国五十鈴川上に御鎮座以来、當国足羽郡北の庄(今の福井市中心部)は皇大神宮の御領地として永年御戸帳(みとばり)を奉る事になっていたが、醍醐天皇の御代に北の庄に明光長者という人があり日頃より皇大神を深く崇敬し御神徳を蒙る事多く當地に勧請するよう発願し、朝廷にし勅許を得て延長二年(924)三月九日北の庄に御分霊御参着、社殿造営の上、同年九月二十日新宮に御鎮座になった。爾来當国領主代々建造物又は神領の寄進あり、織田氏が朝倉氏を攻めた時、社殿が兵火に罹ったが、その後国主として北の庄に入部した柴田勝家公は、直ちに織田信長公に請うて社殿を再興した。松平秀康入封以来も歴代将軍家より、神録百石授与され、明治維新廃藩の時まで存続した。明治四年十一月県社に列せられる。往古は古木老杉生い繁る古社であったが、昭和二十年七月戦災の為建物樹木一切消失した。昭和四十三年五月御鎮座壱千五拾年祭を迎え氏子崇敬者の浄財により新社殿が造営された。
境内由緒書き より

當社公式サイトはこちら。

参道入口

参道

手水舎

拝殿

拝殿前の鈴昭和
(昭和51年(1976)10月建立)

拝殿内部

本殿


太子堂

稲荷神・恵比寿神・衣羽神 合祭殿