白山神社

福井市深谷町 (平成25年10月20日)

東経136度10分31.58秒、北緯36度04分56.71秒に鎮座。

この神社は、えちぜん鉄道三国芦原線・八ツ島駅の東3km程の辺り、深谷町の山裾に鎮座しております。

御祭神 菊理姫尊・伊弉冊尊

深谷白山神社の由緒を口碑伝承として残るものを手掛りに、その概要を探ると、深谷町には熊野神社と白山神社の二社が建立されていた。
熊野神社は建武四年(1337)朝倉氏が三宅黒丸城に居城し、越前の戦国大名としての基礎を固めていた頃、熊野大権現(本地佛薬師如来)を勧請し、当町定歩谷に上垣内の鎮守の社として建立されたようである。
しかし、天正二年(1574)一揆のため、すべて消失し五輪塔石物のみ残ったが、村人の願いと努力で、御神堂が建立された。
白山神社は、天下分け目の関が原の戦い(1600)が終り、やがて世の中が平穏を取り戻しかけた、慶長九年(1604)に菊理姫尊・伊弉冊尊(本地佛十一面観音菩薩)を勧請し当町下垣内の鎮守の社として現在地に建立したといわれている。
また、白山神社奥院の石室を承応三年(1654)に造営して代々篤く尊崇し、お祀り続け、文政七年(1825)には社殿が改築された。この二社は明治四十一年(1908)一村一社の令(合祀令)により合祀し、藤島の庄として平泉寺領であったことから村社深谷白山神社に指定され、大正四年(1915)に現在地に旧熊野神社を拝殿として移転され、町民の鎮守の社としてお祀り続け今日に至っている。
神社に関する、口碑伝承として残るものに、定歩谷垣内には鎌倉時代に、源氏に敗れた平氏の鎮魂のために建立されたといわれる、白毫寺十輪院等、真言宗福寿院の遺跡が現在も残っており、当時を偲ばせている。・・・・・・
境内由緒書き より

参道入口

一の鳥居

神額

参道

二の鳥居

厳つい顔の福井らしい狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和10年(1935)9月建立)

拝殿

神額

本殿