大虫神社

越前市大虫町21-28(平成20年11月2日)

東経136度7分46.09秒、北緯35度53分51.97秒に鎮座。

 この神社は武生駅の西約5km、190号線沿いに鎮座しています。
 190号線沿いの参道入口には大鳥居が建っており、大鳥居を潜って一般道と共通の参道を進むと途中にも中鳥居が建っています。さらに参道を進み、大虫川にかかる宮橋を渡ると、玉垣に囲まれて背後に大きな鎮守の杜を頂いた境内があります。
 境内入口の鳥居の右脇には「縣社 式内名神大社 大虫神社」と刻まれた社号標が建ち、綺麗に整備された閑静な境内正面に社殿が建立されています。社殿は、唐破風付きの屋根を持つ大きな拝殿の後方に流造のこれまた大きな本殿。本殿の左右には外側から見るとただの塀なのですが、その内側には四十八社の末社が祀られているようです。
 境内右手には境内案内図と共に、天正4年(1576)柴田勝家の重臣・尾上茂右衛門の率いる大軍が大虫神社の焼討の暴挙を行い本殿、拝殿等十数棟全てを焼き討ちした時、これに立ち向い防戦した大宮司岡野吉忠ほか権宮司、社家等百四十二柱の御魂が合祀されている境内社・祖霊社が祀られています。
 一方、境内の左手には「お岩神」と呼ばれる神体磐石が祀られている奥の社・大岩神社が祀られています。伝承によると、この岩は自ら動いて山を上り下りするとか。その岩の左手には池があり、「石神の湧水」という御神水をひいています。本殿の背後には本殿に安置されていた御神像を納めている収蔵殿がひっそりと建っています。

 御祭神:天津日高彦火火出見命、 配祀・鵜鵜草葺不合尊、大山咋命、 合祀神:式内社 小虫神社(豐玉姫命)、式内社 雷神社(大山祇命)、 式内社 雨夜神社(水波之賣命)
 祭礼日:8月15日(鬼ヶ嶽火祭り)
 境内社:祖霊社、大岩神社、四十八末社他
 由緒:当社は式内名神大社にして延喜式記載の大社なり。神代より当村(丹生嶽)の天領にましまし、土地かいびゃくの神にて当初は大蒸神社と称し奉る也。第十代崇神天皇七年(西暦前九一年)十一月、神地を定め給ひ、第十一代垂仁天皇二十六年(西暦前四年)国中蝗虫多く発生、五穀人畜に害するを以て勅使を下向、国民挙げて当社に祈願するに蝗虫悉く退滅、五穀豊作せし神徳を尊び給ひ、勅命にて七月十六日今の宮地に遷宮し、虫除守護の神威を尊み、大虫大明神の称号を賜り七十五町歩の地を御田代と定め百二十戸の社家を封納あり。第四十二代文武天皇二年(七〇五)八月名神の官社とせられ下りて戦国時代、新田、足利、斯波、朝倉等の諸将信仰厚く、本殿、拝殿、末社四十八社、回廊等に壮麗な大社なりしが、天正四年(一五七六)四月二十四日、柴田勝家の為に焼廃せしを太閤秀吉公再興、続いて松平越前守秀康の命により、本多伊豆守修造あり、その後代々の領主崇敬あり、奉納物多く又修造される。天正十一年(一五八三)より式内社小虫神社(祭神豊玉姫命)、雨夜神社、雷神社、若宮神社を大虫神社に合祀す。
 (境内由緒書きより)

190号線沿いに建つ一の鳥居
一般道と共通の参道 二の台輪鳥居
参道に架かるアーチ型石橋
登録文化財・宮橋
神社近景
神社入口 社号標
「縣社 式内名神大社 大虫神社」
拝殿前、建立年代不明の狛犬
阿吽の位置が反対で、阿は子狛を連れ、吽は模様付きの玉の上に左前足を乗せています。鬣や尾が大きく波打ち、身体中に瘤があり、やや太めの体から重量感が伝わります。
狛犬の拡大写真はこちらで
拝殿
拝殿内の様子

本殿
本殿脇にいる笏谷石製狛犬
本殿廻りを内側に末社が祀られる塀が囲み、その隙間から狛犬が見えたので撮影しましたが、向かって右側は前方から覗き見ることが出来ず、後ろ姿のみとなりました。
奥の社:大岩神社
大岩神社神体磐石
本殿右脇の境内社 本殿左脇の境内社
境内社:祖霊社
本殿に安置されていた御神像を納めている収蔵殿
石神の湧水
境内左奥にある神池・泉水

「木造男神坐像」案内はこちらで