岡太神社

越前市粟田部町19-13(平成20年11月2日)

東経136度14分25.08秒、北緯35度54分54.2秒に鎮座。

 この神社は武生ICの北東約10km、粟田部町花筐公園南に鎮座しています。
 神社入口の一の両部鳥居を潜るとすぐ正面が拝殿です。拝殿左脇の境内には「継体天皇潜龍之聖迹」碑が建ち、気の早い夫はこの境内地だけがこの社の社地と思ってしまったそうですが、実際はここから奥ずっと上まで社地は続きます。
 拝殿左側から本殿へ上がる石段が続き、参道途中には神楽殿が建っています。ここから本殿まではまだまだ参道は続きますし、本殿との高低差もあります。「この神楽殿はどうやって使用するのだろう?」と疑問に思いました。何はともあれ楓の木々の中、本殿への参道は未だ続き、本殿前の境内入口には二の鳥居が、本殿手前には三の鳥居が建ち、唐破風屋根の豪華な神門とぐるっと回された玉垣内に、本殿と境内社が二社建立されています。
 本殿の建つ境内東の鳥居を出ると境内社の出雲大社が祀られ、その上、約15分ほど登った山腹に金刀比羅神社が祀られています。その他右側の参道を降りていくと天神社や秋葉神社が祀られているのですが、今回は気がつかずに参拝できませんでした。
 境内のお掃除をしていた方にお聞きしたところ、この社の奥の蓬莱山上付近には継体天皇縁の薄墨桜があり、春には幽玄な景色を見せてくれるそうですし、秋には全山真っ赤な紅葉の競演が見られるそうです。
 この季節紅葉はやっと色づき始めたばかりで残念でしたが、皇谷山の薄墨桜を始め、全山に植えられた楓やモミジの紅葉など、それぞれの季節にそれぞれの魅力を見せてくれる景観と、蓬莱祀(おらいし)や花筐などの神事にまつわる魅力がいっぱいの神社のようです。

 御祭神:建角身命、国狭槌尊、大己貴命、 相殿:継体天皇、高ヲカミ神、少彦名命、素盞鳴尊、猿田彦命、天鈿女命、金山彦命、崇徳天皇、火産霊命、崇神天皇、応神天皇、倉稲魂神、彦主人王
 祭礼日:例祭日・10月13日、 特殊神事:左義長祭・1月中旬、市祭り・2月9日、徳日祭り・2月10日、蓬莱祀・2月11日、迹王の餅・10月12日
 境内社:貴船神社、天神社、金刀比羅神社、秋葉神社、稲荷神社、須波阿須疑神社、出雲大社、安閑天皇宮、宣化天皇宮、白山比女神社、大神宮遙拝所
 由緒:雄略天皇の御宇(457〜479)、男大迹皇子「継体天皇」が当地に御潜龍の頃、この辺りは漲水が溢れてあたかも沼の様な有様で、皇子は是を憂いて水路をうがち、三大川 「九頭龍川、足羽川、日野川」 を開き、この地迹部蓬莱山の麓に、大建角身神、国狭槌尊、大己貴命の三柱を勧請して岡太神社と号し、治山治水事業の竣工を祈誓しました。 即ち、今立て郡十四座の式内社です。 継体天皇を相殿に祀ったのは、千有余年以前となります。 
 明治8年縣社に列し、明治41年神饌幣帛料供進神社に指定されました。 明治43年3月3日貴船神社、天神社、金刀比羅神社、秋葉神社、稲荷神社を合祀し、大正5年境内神社の彦主人王宮を合祀しました。

 特殊神事「蓬莱祀(おらいし)」とは、毎年2月11日に行われている山車巡行がメインの神事です。
 継体天皇が507年に樟葉宮( 大阪府枚方市) で即位されたことを地元住民が祝って始まった行事といわれ、修羅( 木ぞり) に特大の米俵を台座にして真中に栗の木を立てて、枝には繭玉( 餅花) を付け、御幣、鏡餅、松や杉の枝などで飾りつけた山車を住民が引き回します。山車の町内巡行には、音頭取りと呼ばれる古老の木遣唄 の「皇子ヶ池は枯れるなあ」という声にあわせて、賑やかに進むことでも知られています。
 境内に案内のある「花筐ゆかりの地」とは、「継体天皇が即位するため樟葉宮へお立ちになるとき、照日の前に形見に花筐をお渡しになり、その後照日の前は形見の花筐を持ち都に昇ります。継体天皇が紅葉狩のおり、狂女となり踊り狂っている照日の前娘の姿を目にされ愕然としましたが、その後は都で仲良く暮らしたと言う物語を約600年程前に世阿弥が謡曲「花筐」という作品に仕上げたもの」に由来しますが、地元の方は「継体天皇が照日の前に残されたのは蓬莱山上付近に咲く薄墨桜で、元々はもっと色濃い花びらだった桜の木が、継体天皇を想う照日の前の暗く寂しい気持ちからだんだん色あせていき、あのように淡い色合いの桜になったんだそうですよ…。」とおっしゃっていました。

「蓬莱祀いわれ」「花筐ゆかりの地」案内はこちらで


神社遠景
社号標
「縣社 岡太神社」
神社入口の一の両部鳥居
拝殿前、大正4年生まれの出雲丹後狛犬
阿は口中に玉を含み、子狛を連れています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正4年(1915)11月建立)
拝殿 境内に建つ
「継体天皇潜龍之聖迹」碑
境内左より本殿へ上がる石段
参道途中に建つ神楽殿
本殿への参道 本殿境内入口に建つ二の鳥居
本殿手前に建つ三の鳥居 神門と本殿を取り囲む玉垣
神門前にいる岡崎現代型狛犬
神門
玉垣内の本殿と境内社
本殿
本殿縁にいる木製神殿狛犬
目には玉眼が填め込まれ、精悍な顔立ちで、鬣や尾、臑毛などが精巧に彫られた、装飾的な狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
本殿左脇に祀られる
境内社:貴船神社
本殿右脇に祀られる
境内社:須波阿須疑神社
末社
境内社:出雲大社
境内社:金刀比羅神社
出雲大社脇に参道入口があり、朱の鳥居を潜ると石段の参道となります。参道途中にはもう一基の朱の鳥居が建ち、木々の清々しい緑の中、気持ちは晴々していますが、息は上がり、参拝しようという気持ちが萎えかけた頃、綴れ折りの参道の上方に社殿の屋根がチラッと見えてきます。気持ちを引き締め、再度気分を高揚させ最後の石段登りに挑戦すると、燈籠が奉納された後方に金刀比羅神社の社殿が建ちやっと参拝の運びとなったのでした。この間約15分余りの登り道、還暦も過ぎ体力の衰えを感じ始めた身にはややハードな参拝でした。
金刀比羅神社境内から見えた粟田部町の町並み
野口雨情縁の「山月楼の亭」 山月楼下の庭園
ここ粟田部町は「越前おろしそば」で有名です。神社であったおじさんも「ここの町の人は誰でも蕎麦を打てるんだよ。俺だってもちろん打てるさ。だからここのそば屋は余程腕がないと誰も食べに来てくれないのさ。」とおっしゃっていました。それを聞いては蕎麦好きの私達はここでお昼を食べないわけにはいきません。神社の南約750mに有る創業明治25年の「勘助」というお店に入り、夫は「越前おろしそば(写真左)」を、私は「ウニもりそば」をいただきました。もりそばは細麺でしたが、腰が強くしこしこ感があり、めんつゆも私好みで美味しく頂きました。越前おろしそばは太く短く、見た目は量も少なく見えるのですが、食してみると、歯ごたえはあるのに喉ごしは良く、蕎麦本来の味が濃厚で辛み大根と鰹節との相性が良く、今まで食べたどのお蕎麦よりも美味しく感じました。「流石町の人が誇るだけのことはあるね〜。」とお代わりまでしてしまいました。因みに次の日に食べた永平寺町の有名店よりも格段に美味でした。お蕎麦好きの方にはお薦めのお店です。