大塩八幡宮

越前市国兼町22-2 (平成25年10月18日)

東経136度10分26.65秒、北緯35度50分46.73秒に鎮座。

この神社は、王子保駅の南南東2km程の辺り、国兼町南側山地の北側斜面に鎮座しております。地図を見るとすぐ左側に大塩町があります。町名変更があったのでしょうか。

御祭神 帯中日子尊(仲哀天皇)・品陀和気尊(應神天皇)・息長帯中日賣尊

由緒
光孝天皇ノ御宇仁和三年、中納言紀友仲朝臣冤罪ヲ蒙リ、當國國府ノ南大谷口泉嶋ニ左遷セラレケレバ、榊ヲ中峯ニ植ヱ石清水ノ神霊ヲ請ジ麓谷ニ参籠所ヲ設ケ榊下ヲ拝所ト定メ無罪ノ状ヲ懇祈至祷シテ怠ラザリシカバ宇多天皇ノ御宇寛平元年勅許ヲ得テ帰洛スルヲ得タリ。乃チ神勅ノ尊旨密奏セルニ天皇御夢符合、叡感斜ナラズ同貳年紀中納言ニ棟梁ヲ給ヒ木工寮ニ命ジテ國材ヲ集メ内匠寮ニ仰セテ當社ヲ此ノ地ニ造営セシメ、同三年八月二十日鎮座シ奉リ、三条大納言公季ヲ勅使トシテ派遣セラレ神主元祖郡司兼帯舎人清原眞人元政ヲ神主職ニ補セラル。其裔今ニ至リテ連綿タリ。中頃故アリテ瓜生ト改ム。
當社鎮座ノ際ハ王子保ヲ環シテ封戸神領トセラレ中古武門ノ崇敬厚ク鎌倉将軍朔幣田土器田等ノ寄附ヲナシ社殿ノ造営修復セラレ昌栄ヲ極メタレドモ、天正年間一掻蜂起ノ節ト慶長年中太閤検地ノ際トニ没収セラレ社務大ニ衰微セシガ、國守松平家ノ尊敬深ク數多ノ社領寄附社殿造営修補ノ幸ヲ得、祠壇ノ光栄大ニ顕ハル。明治ノ聖代ニ入リ、七年縣社ト定メラル。
境内由緒書き より

社号
当神社の鎮座する国兼は、中世期の大塩保(おおしおのほ)の中心集落であったことから、「大塩保八幡宮」と称され、近世以降に現社名で呼ばれるようになった。明治以降「八幡神社」を正式な社号としたが、昭和46年(1971年)、現社号に復称した。

いわゆる八幡三神の他に、明治43年(1910年)に合祀された王子保区内の12神社16柱の神を祀る。因みに12の神社は(大神下前神社、宇佐神社、愛宕神社、若宮神社、日野神社、日吉神社、小白山神社、癒瘡神社、天神社、住吉神社、若宮神社、稲荷神社)である。

歴史
「社号」の節で見たように、大塩保に勧請された八幡宮で、寛正5年(1464年)の奥書を持つ当神社縁起によれば、仁和3年(887年)、讒言によって越前国の国府に配流された中納言紀友仲が、現社地に榊を植えて石清水の八幡神に帰洛を祈願したところ、寛平元年(889年)に勅許を得て京都へ戻ることができたため、同3年(891年)に社殿を造営して石清水八幡宮の神霊を勧請したのが当社の創祀であり、鎮座の際に旧南条郡の大塩保の鎮守として一帯を神領としたことから、郡内の「二宮」と称されたという。寿永2年(1183年)に木曾義仲が境内に本陣を築いて滞在し、鎌倉幕府からは田地を寄進され、建武年間(1334-38年)に斯波高経によって造営がなされて以後、斯波氏や朝倉氏の歴代守護職から田畑山林の寄進や社殿の造営修復が行われるなど武家の崇敬を集めて繁栄し、天正年間(1573-92年)の一揆や、太閤検地で社領を悉く失うなど、衰退に傾いた時期もあったが、慶長8年(1603年)に福井藩祖の結城秀康によって社領30石が寄進されるとともに、その家臣本多富正が武運長久を祈り、次いで元和9年(1623年)には秀康の子、松平忠直により20石が加増されたことで復興し、江戸時代を通じて福井藩主から崇敬された。
明治4年(1871年)年郷社に、同7年県社に列し、戦後は神社本庁に属している。

祠官
当神社縁起によれば、創祀に際して清原元政が勅使として下向し、そのまま神主として仕えて以来清原氏が神主職を襲ったといい、元弘3年(1333年)に神主清原泰景が愁状を提出したことが見え、また『越前名蹟考』に清原光重が高岡神社を境内に遷座させたことが見える。近世以降は瓜生に改姓して現在に至っている。また、比叡山行光房の流れを汲む宝光寺という天台寺院が別当寺であったが、当神社と訴訟問題が生じて廃され、その跡が常光寺(越前市国兼町22-3)の近くにある。
ウィキペディア より

王子保駅より南下して行くと突然現われる社号標。社殿まで1km程あります。嘗て広大は社域があったようです。

300m程手前に立つ一の鳥居

神額

参道

二の鳥居

参道

三の鳥居

神門

重要文化財 大塩八幡宮拝殿
大塩八幡宮は、社記によれば寛平三年(891)の鎮座と伝えられる古社で、武家を中心として崇敬を集め、斯波、朝倉、松平氏等の代々の国主により社殿の修復がなされてきており、その棟札も残されている。拝殿は室町時代の建立と考えられる大型のもので、昭和五十三年に国の重要文化財に指定され、翌年より二年をかけ解体修理が行われて当初の姿に復元された。
この建物は入母屋造杮葺で、五間×二間の身舎の四周に一間の庇を設けた構成となっており、縁は持たない。全体に古式で柱は太く、木割りも比較的大きな落ち着きのある長床式拝殿の例として貴重なものである。
越前市教育委員会

拝殿先の境内。パノラマ写真はこちら。

精悍な面構えの浪速狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和27年(1952)8月吉日建立)

幣殿

神額

本殿覆屋


延喜式内・別宮・高岡神社

式内、天国津彦神社・天国津比盗_社

式内・天八百萬比盗_社

高良神社 清務霊社

寿翁神社(疱瘡神社)

絵馬殿兼神輿庫

神輿

古戦場案内