日野神社

越前市中平吹町80-1-1 (平成25年10月18日)

東経136度11分26.50秒、北緯35度51分40.30秒に鎮座。

この神社は、王子保駅の東2km程の辺り、北陸自動車道・日野山トンネルの南側出口近くに鎮座しております。山岳信仰の霊山、日野山の登山口として古くから栄えていたようです。日野山頂は当社から東南東1.5km程でしょうか。

御祭神 継体天皇・安閑天皇・宣化天皇

由緒
日野山は御嶽山・日永嶽また越前富士とも言われ、昔から信仰の御山として尊崇されて来た。当神社のことが歴史にみえる初めは、「日本紀略」の延喜十年(910)九月の条に「授越前国日野名神従五位下」と見えるのを初見とする。名神というのは、殊にその霊験のあらたかさをもって著名な神という意である。またこの御山のことは、長徳二年(996)に越前守として武生の国府に赴任した父藤原為時に伴われて来た紫式部が、その歌集に、
暦に初雪降ると書きつけたたる日、目に近き日野岳といふ山の雪、いと深く見やらるれば
ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に 今日やまかえる
と留めている。このように、この御山と神は古くから著名であったことが知られる。また中世・近世においては「日野山大権現」として山岳信仰の霊場として知られた。近世においては殊に越前藩主松平侯、府中藩主本多侯の崇敬が篤く、社領・社殿等が寄進されている。今日では「日野山まつり」として、登山祭・鎮火祭(火まつり)で知られている。
なお、継体天皇が当国に潜龍し給いし時、二人の皇子(後の安閑天皇と宣化天皇)を伴って登山され、朝日を拝されてその鮮やかなことに感じ入られ、「此処こそ朝日を拝すべき山である」と仰せられたとの伝説があり、また古代神楽が伝わっている。
境内由緒書き より

境内の300m程西に立つ社号標。右手の頂が日野山かと思われます。

境内入口と一の鳥居

二の鳥居

神額

境内

拝殿

堂々と威厳のある浪速狛犬。拡大写真はこちら。
(大正5年(1916)8月吉日建立)

本殿


絵馬殿

神額

絵馬

神輿殿