藤垣神社

越前市本多3-3-3 (平成25年10月18日)

東経136度09分57.05秒、北緯35度54分15.02秒に鎮座。

この神社は、福井鉄道福武線・越前武生駅の西700m程の辺り、旧武生の中心近くの街中に鎮座しております。嘗て府中と呼ばれたこの地を開発し民生に務めた初代藩主本田伊豆守富正公を祀っています。

本田伊豆守従五位下富正公
富正公は大織冠内大臣藤原鎌足の御子孫で本田助秀八代の孫本田孫左ヱ門重富の長男である。元亀三年(1572)三河国大平(愛知県岡崎市大平町)に生れられた。十五才の時から、徳川家康の次男秀康(この時秀康十三才後の福井藩主松平中納言秀康)の相談役となって幾多の功績をあげられた。
慶長五年(1600)の関ヶ原の役には秀康に従って関東を守り宇都宮に陣取って上杉景勝を押え武功を立てられた。翌六年の春、家康伏見に於て軍功を賞せられるに当り、秀康を越前藩主に封ぜられた。
富正公は特に家康の肝入りで附家老として越前に入り府中三万九千石の城主となった。以来慶安二年(1649)七十八才でなくなられるまで、約五十年間当地方の民政に貢献された。
当時、越前は多年兵乱の後で、荒廃著しかったので、富正公は住民の福祉を計り、産業を奨励し、道路を開き、荒地を開拓し用水を通す等、大いに民政に手腕を発揮された。
例えば府中(旧武生)の町用水、亀用水、中井部用水を作ったり、鯖江の鳥羽野の開拓に手をつけられたりした。又、九頭竜川から芝原用水を引いて、福井城下に導き坂井郡浜四郷村の片川悪水を改修し、松岡では芝原用水口が元覚堤(管理人注、元覚とは富正の隠居後の法号)のよび方で記念されているように水利についてすこぶる手腕を振るわれた。
一方、絹屋、織屋、鍛冶屋、酒屋の株をさだめて、産業を保護奨励しその後の織物生産や地方産業に大いに貢献された。
境内由緒書き より

江戸時代の府中(武生)領主本多家の初代本多富正を祀った神社です。本多富正は、都市整備や産業の保護奨励のほかにも、京都よりそばきりの職人を連れてきて、「越前おろしそば」誕生のきっかけを作った人物でもあります。神社には富正ゆかりの文化財が残されています。
越前市観光協会 より

神社入口

神額

境内

拝殿

石は笏谷、彫りは金沢でしょうか。拡大写真はこちら。
(明治31年(1898)6月建立)
向拝と木鼻の狛犬

本殿