味真野(あじまの)神社

越前市池泉町21 (平成25年10月18日)

東経136度14分16.82秒、北緯35度53分01.39秒に鎮座。

この神社は、北陸自動車道・武生ICの南東3km程の辺り、武生の町並みがそろそろ尽きようかと言った境に鎮座しております。

阿波阿須疑神社と呼ばれていた五分市の総社を中心に周辺の10社を合祀し、明治4年に味真野神社と改称、祭神に継体天皇を祀る。

鞍谷御所址
室町末期の鞍谷氏の館(鞍谷御所址)の一部である。現在は味真野神社の境内をコの字に囲むようにして北・西・南面の土塁と、北・西面の空掘を残している。
いい伝えによれば、古代の男大迹王(継体天皇)の宮居の跡といわれ、中世になっては足利将軍義満の次男義嗣が上杉禅秀の乱(1416)に連座して殺され、その子嗣俊がこの地に住み、鞍谷氏と称し三代栄えたという。
最近の説では、斯波義俊の館跡といわれる。義俊は、応仁の乱の原因にもなった斯波家家督相続争いの斯波義廉の子息で、朝倉氏によって名目上の守護として越前に迎えられ、はじめ一乗谷に在住したが文明18年(1486)にはこの地に移っている。
子孫は代々鞍谷氏を称し朝倉氏と婚姻関係を結びながら居住し、朝倉氏滅亡後は小丸城を築城した佐々成政と臣従関係をむすんでいった。
境内掲示板 より

継体天皇は即位する前に味真野で暮らしていたという伝承に合せて「味真野神社」と改称したようです。

参道脇に立つ社号標

参道

神社入口

鳥居

境内

手水舎

拝殿

堂々とした金沢型狛犬。拡大写真はこちら。
(大正2年(1913)4月建立)

神額

本殿


末社

「謡曲花筐発祥之地」記念碑

謡曲「花筐」(はながたみ)と味真野神社
謡曲「花筐」は、雲の上人と里の女との隔てない恋を美しく描写した狂女物です。武烈天皇が崩御され、越前国味真野におられた男大迹皇子が選ばれて皇位を継ぐ事になり、寵愛されていた"照日の前"に、文と花筐を形見として残されました。皇子は即位して継体天皇となられ、在る日の御幸の折、狂い歩く女をお見かけになりました。持っている花筐から、皇子を慕う"照日の前"と分かり都に連れて帰られたのです。
この味真野神社は男大迹皇子の御所跡で、継体天皇をお祀りし、皇子と"照日の前" との、ロマンスのあった地として、謡曲「花筐」発祥の地にふさわしい所です。
謡曲史蹟保存会

社殿全景