(本荘)春日神社

あわら市中番下番入会地1の甲(平成24年6月1日)

東経136度11分59.25秒、北緯36度12分10.03秒に鎮座。

 この神社は本荘小学校のすぐ東に鎮座しています。
 入口は101号線沿いにあり、境内北には竹田川が東西に流れています。綺麗に並んだ玉垣が切れた入口を入ると鳥居、左手に「郷社 春日神社」「式内 井口神社」と刻まれた社号標が立っています。右手には松の巨樹、参道にはご神木が聳えています。正面に二対の狛犬に護られた唐破風付き入母屋造りの拝殿。拝殿後方の本殿は市の文化財に指定されていますが鞘堂の中にあり、拝殿入り口のお賽銭入れの小さな隙間から正面が辛うじて見られる程度です。境内の「由緒之碑」には相殿と刻まれてい益すが、社殿の右手に式内井口神社の石祠が祀られています。社殿の左手には天然記念物の大きなツバキが聳え、鎮守の杜は新旧の木々が色取り取りの緑の色を見せています。
 静かで森が大きく、気持ちの良い参拝が出来る神社でした。

 御祭神:武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比当ス
 祭礼日:3月24日・例祭
 境内社:式内井口神社
 由緒:人皇六十六代一條天皇の御宇、鎮守府将軍藤原利仁四代の苗裔、當国の押領使従五位上斉藤民部少輔伊傳の勧請に係れり 社記に曰く伊傳其の元祖春日明神に信仰厚く 曽て當荘の住人徳丸の男美佐崎なる者を使いとして 神供百石の料を以って南都の春日神社に献じ 本国に其の分霊を勧請せんと欲す。
 寛弘八年亥年二月、今より八百八十九年前、上奏し神殿を設け同十月朝命を以って遷宮あり 其の供奉として別当には南都の惣大連公文伊豫守藤原国等々社家四百八十人神輿陪従して来たれり 其の時荘官二十四家を置き 社領六百町を寄付せられたり、後 伊豫守国等往時、継体天皇三大河を開き耕地と成し給えども 我が神領の地未だ水田に非ず 依って国等水利を得んと欲し 春日明神に祈願すること十七日 奇なるかな満願の日薄暮のこの神庭に白き鹿来たりて一夜林の下に止まれり 其の夜国等知らず神容甚だ威厳にして告げて曰く 今汝撫民の志を以って祈誓する処あり朕之を示さん。九頭竜川の上流に行きて尋ねべし 必ず水の得るの奇験あらん 自ら悟るべしと、夢たちまち醒めたれば拝謝してすでに階を降りる。 白鹿北東に向かって立ち去れり 国等即日数里の川上に到るところ 一つは八尺の幣を咥え 一つは六尺の榑を咥え 此に於いて神感の諭示する所なるを覚り 白鹿の到るところに従い行き水源に到れば 白鹿は水中赤色の岩上に起立し茲に鳴くこと三声 依って其の地を鳴鹿山鹿と云う 白鹿また乾の方向を指して行く 国等これに従うこと数里 白鹿左右に伏す 今其の地を鹿伏と云う この所にて用水左右に分かる。 また行くこと二里余り 白鹿二物を捨てて消え失せり、 今本荘村藤沢の地内鹿塚という小塚あり。 故に国等直ちに家に帰りこの顛末を社家及び郡民に謀りて 白鹿の通りし跡に就いて幣を標となし 河川を開き 水を通して 田を拓きたれば 居民日を追って繁栄せり 今に至る迄この用水の恩恵に浴す。
 本荘春日社は十郷の総社にして十社あり 本荘郷、新郷郷、大味郷、溝江郷、細呂木郷兵庫郷、大己郷、関郷、新荘郷あり、大守古へより所々に春日明神を祀れる所以なり 信長 豊臣氏の時も 国等の開拓の旧功に拠って 社司大連に用水の役儀勤務を命ぜられ 黒印を賜い 其の他領主代々判物等を賜わり 今尚大連家に所蔵せり 
 本社の郷社に列せられ 明治六年一月なり 
 以上国等の子孫大連氏の家譜及び社記に拠って明治三十二年四月下番藤野市九郎誌す



社頭
神社入口
一基の社号標に「郷社 春日神社」「式内 井口神社」と刻まれています。
入口に立つ台輪鳥居
境内の様子
参道
拝殿手前、参道脇にいる大正13年生まれの出雲狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正13年(1924)3月建立)
唐破風付き入母屋造りの拝殿
唐破風下彫刻
拝殿木鼻・狛犬
拝殿内の様子
弊殿と本殿鞘堂・正面
春日神社の本殿は、今から約300年前に、中番、下番、上番の氏子らによって建立された。三間社流造、柿葺の建築で、向拝柱と正面の柱に少し改造は見られるが、創建当時の状態をよくとどめている。
芦原町における最古の建築の一つで、同じ形式の本殿としては、国指定重要文化財の須波疑神社本殿(池田町)・滝谷寺鎮守堂(三国町)・鳥井春日神社本殿(鯖江市)とともに福井県内でも古い例である。
上棟札によれば、伊井村(現在の金津町伊井)の大工の杉原加右衛門らがつくり、金津の桧皮屋と福井の木挽らも関わっていた。造営費の一部は、富札でまかなわれた。このような例はこれまでに県内では知られていない。なお、本殿内の阿弥陀如来像と薬師如来像は市指定文化財である。

境内社・式内社 井口神社
御祭神・男大迩命(彦太神)
境内の石碑には相殿と刻まれていますが、このように境内社として祀られています。この地は元々は、井口神社の境内地だったようです。

人皇二十七代継体天皇は御即位前、男大迩命と称しておられた。其の頃、當国坂中井、高向、三国及び所々に御在住しておられた。国中の水利の不便を憂い給い、當国三大河の九頭竜川・日野川・足羽川及び坂井港を開かれ国中の治水を行なわれた。其の時一ノ岡に行宮を構えることになり、この地を名付けて河口之荘本荘と呼ばれた。そして継体天皇崩御の後、この地に社殿を造営し祭神として勧請し郷中一統の総社として崇敬し奉り延喜帝の時、式内に列せられた。
井口神社を護る平成3年生まれの小さな狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(平成3年(1991)3月吉日建立)
御神馬殿? 神馬之碑

社務所
古い鎮守の杜と新しく植樹された木々
市指定天然記念物・ご神木 ツバキ
ご神木