あわら市二面63-18 (令和6年10月20日)
東経136度12分05.37秒、北緯36度13分35.25秒に鎮座。
この神社は、えちぜん鉄道三国芦原線・あわら湯のまち駅の北東700m程の辺り、二面の街中に鎮座しております。
御祭神 大巳貴命
由緒
抑当社の起源は山王権現にして古く中世に遡る。古代の漠然とした自然崇拝はやがて垂迹説の出現によって神仏混淆の山岳信仰が形成され、その対象がより明確となった。越前においては泰澄開基の白山信仰が平泉寺を中心に豊原寺を始め各郷各村へと波及し、此れらの村々は白山三所権現本地仏を氏神として祀るに至った。一方大和国を発した山岳信仰は比叡山で天台派と習合し、山王神道として共に発展北上し久安3年(1147)延暦寺は平泉寺らを末寺とした。またこれが起因してか13世紀末頃我が在所にも天台派寺院が建立されるなど、比叡山とその守護神たる日吉山王権現との縁が生じたるものと思われる。
やがて、日吉大社(現滋賀県大津市坂本)西本宮より山王権現を勧請して氏神となし、以後数百年にわたり尊崇護持してきた。此の祭神は大巳貴命にしてまた白山御前峰の垂迹とも同一であり、当時の山岳信仰の類似性を見ることができる。また御本尊は日吉曼荼羅の仏神にして文禄2年(1593)重澤三郎兵衛の造奉によるものである。
山王権現が日吉神社と改称されたのは慶応4年(1868)3月発布の神仏分離令によるもので、神仏習合の当権現社も存続のため廃仏毀釈をもって神社となったのである。
昭和23年(1948)6月福井地震により、天保14年(1843)建立の社殿は社務所共々崩壊。よって翌年境内樹木の一部を売却。その代金と古材とをもって復旧した。然るにその後の老朽とみに進みたるにより、氏子ら相諮りて全面改築を決し、区民並びに有縁の方の奉加と二ヵ年の歳月をかけて造営。平成8年11月完成したのである。
境内由緒書き より。
参道入口
参道
境内入口の狛犬
(平成8年(1996)10月吉日建立)
拝殿
玉垣前の狛犬
(皇紀2600年記念 昭和15年(1940)建立)
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和58年(1983)12月建立)
拝殿内部
本殿
本殿正面
境内社
境内社を護る狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
注連縄