宇氣洲神社

東温市田窪1585 (平成26年12月22日)

東経132度51分47.63秒、北緯33度47分19.16秒に鎮座。

この神社は、伊予鉄道横河原線・牛渕駅の南東600m程の辺り、田窪の街中に鎮座しております。

御祭神 大山祗命・品陀別命

由緒
当社は、以前は三島神社と海稲八幡神社と二社それぞれ別所に鎮座していた神社である。 三島神社は、神亀5年(728)8月23日伊予の国司越智玉純が大三島から勧請した神社であり、伊予八十三郷各郷の一の宮と称した。
治承2年(1178)国主河野通清、当神社を尊敬するによって社領を寄進し神宮司香積寺を置く。
元久(1204~1206)の頃、荏原城主平岡氏と志津川の城主和田氏と互いに交戦すること数度に及び、当神社の社殿は破壊された。当時、河野親太夫親孝の二男高井太夫兼孝の六男で田窪七郎孝村、同太郎孝通はこの地を居所としており、河野殿の上屋形の趾蹟があることをもって浮洲本郷一の宮として社殿を再築し、水田数町を寄進された。元徳2年(1330)越智通孝、社殿を興し自ら社職となって奉仕する。
海稲八幡神社は、延久2年(1070)源頼義が創祀させたといわれ、以後河野氏、高井氏、浮穴氏、田窪氏、白石氏、田井氏等の諸豪族が深く尊崇した。
嘉永2年(1849)二社合祀の議が起こり、現在の地に合祀して三島神社海稲八幡神社と称し、大正2年(1913)に宇氣洲神社と改称する。平成11年(1999)に、合祀150年祭の記念大祭を執り行う。
愛媛県神社庁公式サイト より。

神社入口

境内入口

境内

境内入口の玉乗り狛犬。拡大写真はこちら。
(大正9年(1920)9月建立)

拝殿

拝殿内部

本殿


奈良原神社 出雲神社
末社

末社