井守神社

四国中央市土居町中村1356 (平成26年1月5日)

東経133度26分00.21秒、北緯33度57分04.97秒に鎮座。

この神社は、市役所土井庁舎の南200m程の辺り、土居町の中心部のようですが結構長閑な風景の中に鎮座しております。

御祭神 大山積命(おほやまつみのみこと)・高龗神(たかおかみのかみ)・大雷神(おほいかづちのかみ)

由緒
当社は、大宝元年、宇摩大領*樹下大神越智玉澄が、宇摩西部に居を構えた時に井の上に三島大神を勧請したと伝えられる。(井の上というところに玉澄の霊を祀る) 天暦6年現在地に奉還したが、境内に出湯井があり、この流れを、里人は御井の川と呼び、彌津波能賣神を合祀して井森大明神と称える。これにより近井郷の名も起こると云う。
天智帝が皇太子の御時松山への途時、此処に立ち寄られしとの伝承あり、この流れを改修の折、珍しい古い岩石が十石出てきた。里人は、これを帝愛十石と名付けている。その中の一石を境内の手水舎横へ安置してある。天智帝湯座といって帝が御来浴のみぎり衣を掛けられた岩といひ伝う。その後、天武帝の白鳳12年癸未の6月頃より冷泉になったと云う。それより後、清流として名がある。
天正の頃、薦田氏の祈願所となり、後に幕領に入る。明治6年村社に列せられる。なお、村名を付ける時、近井の原の中であることから中村と称した。古跡や末社が多く、今も地名などにその名を留めている。昭和21年宗教法人法により神社本庁に所属する。
平成の世になり、2年に中殿・神饌所、参道を改修し、11年には木造両部第二大鳥居を特殊鋼両部鳥居に改修し、社頭玉垣整備した。
愛媛県神社庁公式サイト より

境内由緒書きはこちら。

参道入口と一の鳥居

参道途中の二の鳥居

三輪田米山の神名額

境内入口

境内入口の浪花狛犬。拡大写真はこちら。
(天保12年(1841)辛丑9月吉祥日建立)

拝殿

拝殿内部

本殿


石祠

御神木