周敷(すふ)神社

西条市周布1532 (平成26年12月19日)

東経133度04分38.05秒、北緯33度54分24.55秒に鎮座。

この神社は、JR予讃線・玉之江駅の西2.5km程の辺り、今治小松自動車道の東側に鎮座しております。

御祭神 火明命・大山祇命・大己貴命

由緒
周布本郷1523番地に鎮座している。古代の郡家も周敷駅も、この付近にあったと考えられる。主祭神は、火明命、配神は大山祇命、大己貴命、延喜式神名帳記載の神社で伊予国24座の内、桑村3座の一社であるが、当、周敷神社の鎮座地は、周布郡、周布村であって桑村郡でないことから、寛文10年(1670)西条初代、松平頼純が入国巡視の際、式内社周敷神社について疑義を生じ、天禄8年(977)と宝永2年(1705)など何度か調査したが確認できなかった。
享保5年(1720)国安村の周敷神社をはじめ、円海寺村蓮宮明神、宮之内村、宮内神社からも、それぞれ式内周敷神社だとの訴えがあり、なかでも国安村周敷神社とは久しく紛争が続いたが結局は中央の神学者、壷井義知の「周敷神社鎮座違郡考」の説に準拠して周布村の周敷神社の勝となり神祇管領、吉田家より裁許状を授けられ、享保7年(1722)一応の決着をみた。この周敷神社一帯は湧泉が多く早くから稲作が行なわれ、周敷郡の政治、産業の中心として栄えていた。
天平宝字8年(764)、多治比連真国ら10人に周敷連の姓を賜わり、ついで真国ら21人に周敷伊佐世利宿祢の姓を賜わる。この一族が先祖の神を氏神として祀ったのが周敷神社である。境内、東西32間、南北37間、馬場の長さ134間、氏子、およそ315戸である。神主の伊佐芹家は、周敷伊佐世利宿禰につながるものである。
天正13年(1585)の兵火で社記、宝物など全焼したが、享保7年(1722)西条藩六社の一つに加えられ、藩主の代参、神田の寄進があった。旧県社、萬代講、永代講があったが中止された。例祭は10月の15・16である。社宝には、延喜式弁疑、松平頼安の寄進状、一柳直郷の社号、掛軸などがある。
境内由緒書き より。

由緒
当地一帯は湧泉多く古より稲作が行われ、周敷郡の中心地であった。天正の兵火(1585年)で社記等を焼失し、勧請年記不詳。續日本紀に天平宝字8年(764年)周敷郡多治比の連眞國等10人に姓を周敷連、続いて周敷連眞國等21人に姓を周敷伊佐世利の宿禰と賜るとある。
当社はこの一族が祖神を祀った延喜式内社である。享保7年西條藩の格社となり、六社と称した。藩主入國のときには社参され、例祭には代参があった。
明治5年8月郷社となり、同14年3月県社に列せられる。
愛媛県神社庁公式サイト より。

参道入口。右手は周布小学校

社号標

天満宮
忠魂社 忠魂碑

一の鳥居

神額

参道

境内入口

参道途中の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

参道と神門

拝殿

拝殿内部

本殿


金刀比羅宮

末社

塞の神

御神木

絵馬