大洲市八多喜町1 (平成26年12月20日)
東経132度32分27.51秒、北緯33度33分27.10秒に鎮座。
この神社は、JR予讃線・八多喜駅の南西400m程の辺り、肱川の北側すぐに鎮座しております。洪水は大丈夫なのでしょうか。
御祭神 素盞鳴命・奇稲田媛命
由緒
古書に曰く、朱雀天皇の天慶2年(939年)伊予の掾藤原純友任満ちて還らず平将門と共に反乱せしとき朝廷は大伴吉良喜を喜多郡の大領に任じ暴徒を追捕せしめたり。吉良喜命、命を受け京都出発に当たり日頃御信仰の祇園神(官幣大社八坂神社)の御分霊を奉持し、当所八多喜村岩津大門河原に上陸せられ此の粟津の森に御殿を建て奉斎し、祇園宮と称へ奉り近郷を治め御神徳を広め薨去せられしにより当社に合祀せられたり。
爾来大洲藩主代々参勤交代の時、海上安全諸祈願をせられ、又屡々奉幣を受け、文政11年(1828年)十一代大洲藩主加藤泰幹公の寄進を賜り、又近郷の崇敬者多数協力奉仕し13年の歳月をかけ天保11年(1840年)現在の社殿、桜門等を完成した。
明治元年太政官布告により粟津森神社と改称し、昭和13年鎮座一千年奉祝祭を斎行し以来平和を祈願し御神徳の昂揚徳の昂揚進展に努力し昭和25年祇園神社に復した。
愛媛県神社庁公式サイト より。
肱川の堤防から見る神社
神社入口
神門
拝殿
拝殿前の玉乗り狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(弘化4年(1847)丁未中春吉祥日建立) |
本殿
末社
肱川の流れ。正面は祇園大橋。