八幡神社

西宇和郡伊方町湊浦1034 (平成26年12月21日)

東経132度21分19.04秒、北緯33度29分14.66秒に鎮座。

この神社は、伊方町役場の北北西300m程の辺り、湊浦の街外れの斜面に鎮座しております。

御祭神 足仲彦皇命・誉田天皇命・息長帯姫命・大雀命

由緒
神社明細帳によれば、清和天皇御宇貞観14年(872)11月16日勧請し、その後文和元年(1352)8月15日初めて神幸を営み、それから春秋二回の祭祀が営まれるようになった。明治維新(1868)後西宇和郡伊方浦、九町浦、二見浦の郷社となった。
古文書には、我等先祖諸国を巡回せし時、豊前の国に至りて、八幡宮を信心す。神は人の正直をあわれみ請願心のままに成就す。亦或時神前にむかひて申さく、願はくば我住国に、遷り給ひ、万民の願ひを叶へ給へと礼拝し奉り立返へり宮農麓平沼兵衛と云う者と方に宿りける。
その夜の霊夢に我明後日はは山城国男山に行く。其の方是より生国へかえり、我を祈り神となさば願い叶ふべしと、かけまくも有がたくも恐れ多き御事なりけり。さてこそ帰郷し伊方浦に勧請す頃に貞観14年(872)壬辰1月16日、二間四面に宮作り信心す。
夫より後、文和元年(1352)壬辰8月15日駿河国より八右衛門と申す者来り、信心をなし、三尺四方の神輿一基を奉る。金にて包み有由。人々敬ひ申せしとぞ。或時安藝の木に農漁船来り盗み取帰る所、二丁ばかり押し出し三崎の沖にて沈み今に磐となり有事神明の誠也。
神輿の沈みし場所は二説あり。佐田三崎半島突端で黄金磐といわれ、又一説には佐瀬部(のちの湊浦白崎沖)で、その沈みし所を今も神輿瀬とよばれている。
境内由緒書き より。

由緒
貞観14年12月16日宇佐八幡より分霊を勧請したという。
代々産土神として、時には保内郷総鎮守と称せられ、氏子地域外よりも崇敬篤かったという。
愛媛県神社庁公式サイト より。

参道入口

鳥居

参道

境内入口

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

拝殿

拝殿前の玉乗り狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

本殿


末社

末社を護る玉乗り狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

末社

末社を護る玉乗り狛犬。拡大写真はこちら。
(嘉永5年(1852)壬子3月吉祥日建立)