雄郡神社

松山市道小栗3(平成20年3月27日)

東経132度45分34.86秒、北緯33度49分23.52秒に鎮座。

 この神社は、雄郡小学校の南500m程の辺りに鎮座しております。地図を見ると近くに雄郡の地名が有ります。又、雄郡小学校の住所は藤原町。地名は、幾つかの変遷があったのでしょうか。この神社も嘗ては広大な社地と杜を持っていたようですが、現在でも市街地の神社にしては、豊かな杜があり、静かに参拝できます。

雄郡神社(ゆうぐんじんじゃ)
松山の八社八幡の四番社。祭神は、天宇受売命と八幡三神(品田和気尊、帯中日子尊、息長帯姫尊)である。
『伊予古蹟志』に「小栗の邑に国社あり、正八幡宮(雄郡神社)と曰う。用明天皇の元年九月五日、宇佐の神を移し祭る。社前に調馬場を置、古き流鏑馬射祭の地なり。」とある。
 慶長五(1600)年関ヶ原の戦いのとき、河野家遺臣と毛利勢が攻め寄せてきて、加藤嘉明の家老佃十成(つくだかずなり)が迎え討ったとき、兵火が当社にも及んで社殿社宝古文書を焼失した。
 昔から鎮守の森と呼び、人々は神社の樹林を大切にしてきた。当社の樹林も、かつてのうっそうとした樹林とは比べるべくもないが、地域の人々に守られて、松山市指定の景観樹林保護地区となり、二代目の「左馬殿の松」も育っている。社宝には、『絵馬雄郡神社前景図』(万延)『左島雨乞いの図』(安政)がある。
松山市教育委員会

境内由緒書はこちら。

神社入口と社号標

神門

拝殿

拝殿前ブロンズの狛犬。拡大写真はこちら。

(平成5年(1993)建立)

本殿

境内の末社

正岡子規・歌碑の説明

絵馬