山内神社

松山市南江戸5-13(平成20年3月26日)

東経132度44分47.41秒、北緯33度50分17.56秒に鎮座。

 この神社は、松山総合公園のすぐ南東側、朝日八幡神社のさらに南東隣に鎮座しております。朝日八幡神社と一緒に参拝するのがお勧めです。

享保一七年(1732)の大飢饉で松山に多くの餓死者が出たとき、江戸詰めであった松山藩主松平定英は、幕府から施政不行き届きのかどで謹慎を命じられた。目付役山内与右衛門は主君の命で飢饉実情を報告したが、定英公は国元の不始末を苦にして急逝した。与右衛門は享保一八年一二月五日味酒村長久寺で切腹。十年後、彼の忠誠は認められ知行を回復した。
文化十一年(1814)時の藩主松平定通は与右衛門の忠義をたたえて山内神社を建てた。境内由緒書はこちら。

神社入口。右手に見えるのが正岡子規の歌碑。山内与右衛門を「桜一本」に託した明治二五年の句。

拝殿

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(天保15年(1844)3月吉日建立)

本殿