履脱(くつぬぎ)天満宮

松山市畑寺町(平成20年3月27日)

東経132度43分33.17秒、北緯33度49分2.01秒に鎮座。

 この神社は、松山空港の東1.5km程の辺り、田園風景の中に住宅地も見えると言った辺りに鎮座しております。

履脱天満宮
祭神は菅原道真公である。
『予陽郡郷俚諺集』に、「管丞相が筑紫に左遷のとき、越智郡桜井浜に船を寄せ、陸伝いに当地に至り、沓を脱いで三ヵ年逗留した。頭三位中将が追立ての官人を連れ、都からやってきたので、道真公は西方の橋まで出迎えた。道真公は筑紫へ向かうことになった。このこから、勅使橋といい、沓脱というようになった。船で出発するとき、名残惜し今出ると仰せられたので、その浜を今出浦と名付けた。別当長松山安楽寺」という内容の記述がある。
 その後、長保元年(999)に、一条天皇が社殿を建立し、道真公霊を祀って履脱天満宮と称したという。永正元年(1504)には、河野通篤が当社に土地を寄進している。
 江戸時代になって、松山藩主松平(久松)家が社殿を再建し、代々の藩主が参拝して祖先神として厚く敬い、幕、提灯にいたるまで奉納したと伝えられる。
松山市教育委員会

普通参道入口には鳥居が立っているのだが、ここはいきなり狛犬のお出迎えです。拡大写真はこちら。

(嘉永7年(1854)正月25日建立)

参道と神社遠景。この両側は宅地化して欲しくありません。

社号標と神社入口

拝殿

悪戯盛りの餓鬼のような玉乗り狛犬。拡大写真はこちら。

本殿

境内の末社

境内の桜。後ろは、由緒書に登場する「安楽寺」の鐘楼。