正八幡神社

松山市福角町649 (平成26年1月4日)

東経132度45分55.82秒、北緯33度53分42.29秒に鎮座。

この神社は、JR予讃線・伊予和気駅の北200m程の辺り、和気町の街中に鎮座しております。

御祭神 誉田別尊(ほむだわけのみこと)・息長帯姫尊(おきながたらしひめのみこと)・足仲彦尊(たらしなかひこつのみこと)

由緒
貞観年間の創祀という。天慶の乱に戦火に罹り一時衰微したが、延久5年8月国司伊予守源頼義、伊予介越智宿弥親経が山城国石清水八幡宮を花見山に勧請し、社殿を造営、社領を献じた。その後、正平23年9月河野刑部太夫通直、同伊予守通政、右馬守通定等は本領を回復したので、堀江葛籠屑山城主村上内臓太夫吉高、同右衛門慰安輝に命じて花見山に築城、このとき神社を現在地に奉還した。此の山は往古盛能山と称したが正平の頃に像観山と改称、又、八幡山とも称したが此の山の天照皇大神を祀りし御玉の森、月読命を祀りし月の森、瓊々杵尊、彦火火出見命(又は饒速日命を祀りしともいう)を祀りし御串の森があり、この御串の森には毎年正月2日奉幣の儀がある。これら三つの森は神廟の聖地として又、史蹟をして崇敬される。
明治40年神饌幣帛共進神社となり、昭和15年本殿改築、昭和39年2月28日お旅所を堀江町伝兵衛に移転した。
愛媛県神社庁公式サイト より

一の鳥居 社号標

参道

神門?

参道

石段途中の玉乗り狛犬。拡大写真はこちら。
(天保9年(1838)戊戌8月吉日建立)

境内

拝殿

拝殿内部

本殿


末社

境内より見る参道