松山市上野町甲51 (平成26年12月22日)
東経132度48分40.87秒、北緯33度46分14.74秒に鎮座。
この神社は、松山自動車・松山ICの南東3.5km程の辺り、上野町の街中に鎮座しております。
御祭神 應神天皇・神功皇后・仲哀天皇・武内大臣・豊玉姫命・田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命
由緒
往古は神明宮と称えたという。崇峻天皇2年小千益躬が当地に奉遷し筑紫より胸肩大神を勧請、合斎し、八町歩の神地を定めて神野大宮と称した。
貞観9年(867)には筑紫宇佐宮を合祀し、大宮八幡宮という。爾来、武門の崇敬篤く、社殿の造営、宝物、社領の寄進などあり、称光天皇の花押のある書状、征南将軍宮満良親王奉納の御剣などあったとの記録もあるが、慶長5年(1600)9月兵火に罹り、社殿宝物記録など焼失した。同9年神殿楼門など再建した。
御衣更の神事は元正天皇養老5年(721)8月、小千玉純が勅を奉じて安芸の厳島神社の神輿を当社に奉迎し神衣を賜ったという。その時当社の神主は厳島神社に参向し御衣を拝授して戻り、七日間御衣更の神事を執行、厳島神社に参詣の国人に官印邦札を下げ渡す例があった。その後、御衣更の下賜は廃されたが、神事は今も続けられている。
愛媛県神社庁公式サイト より。
境内より100m程東に立つ社号標と鳥居
神門
神門前の玉乗り狛犬。最初からの相方か?拡大写真はこちら。 | |
(嘉永7年(1854)甲寅8月建立) |
神門内の木造狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(年代不明) |
拝殿
拝殿内部
本殿
恵原の金平狸
この巨大なイブキビャクシンの樹に、金森大明神という名をもつ金平狸が鎮座している。
金平狸は、どこで学問をつんだのか文字が読め、算盤も上手な学者狸であった。それに、当神社宮司大西家の代々の当主によく仕えるお使い狸であったという。「松山の城下へ用で出かけて夜遅く帰ってくると、どこからか、ぽっと提灯の灯りがさして、道を教えてくれる。あれが金平狸の出迎えじゃった」と何代か前の宮司が語ったと伝えられている。
また、金平狸は、恵原の人々にも親切で、迷い子や老人の世話、病人の使いなど、いろいろと尽くしたという話が残されている。
こういったことから、大明神の位を得て、金平狸は、今も人々の厚い信心を受け、立派なお堂や御篭堂が築かれている。