松山市吉藤1-2-25 (平成26年1月6日)
東経132度46分02.55秒、北緯33度52分01.42秒に鎮座。
この神社は、愛媛県庁の北3km程の辺り、吉藤池の西側、街外れの山際に鎮座しております。
御祭神 高龗神(たかおかみのかみ)・大山積神(おほやまつみのかみ)・雷神(いかづちのかみ)
由緒
聖武天皇神亀年に宇摩郡司越智の一族を伊予国各郷に分治せしめたときに創祀されたと伝えられている。以後、越智氏累代の崇敬篤く吉原熊野神社を合祀し、吉原郷の鎮護とした。天慶年に河野好古が社殿を改築、延久年に源頼義が修補して社地免除の黒印を納め、赤兜、太刀を献じた。元弘3年伊与守入道通治、社殿を造営し自写の経論を納め、天文3年潮見山城主大内伊賀守信恭、越智信昌と神殿を再築、永禄11年河野通直は越智信盛に命じ、三島社、熊野社の本殿を区別、前殿を新築させた。寛永3年加藤嘉明は鳥居を建立、神馬と飼料を献じた。延宝6年罹災したが、官は米穀を寄せ、氏子は貨幣を献じて社殿を再興、明治40年神饌幣帛共進神社に指定された。
愛媛県神社庁公式サイト より
境内の100m程西に立つ一の鳥居
神額
参道
注連柱
鳥居
石段左右の狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(弘化3年(1846)丙午9月吉日建立) |
拝殿
神額神額
拝殿内部
本殿
荒魂社・鈴御前社・藤隅社・森社 | 若宮社 |
絵馬殿。ここに松山市指定有形民俗文化財「三島神社算額」が奉納されたようです。
左近の桜・右近の橘と言う訳か日本橘。以前食べて記憶では大変酸っぱかったような。左近の桜は咲いていないの今回は割愛。
御神木