松山市御幸1-253 (平成26年1月6日)
東経132度45分55.01秒、北緯33度51分20.71秒に鎮座。
この神社は、伊予鉄道城北線・木屋町駅の北800m程の辺り、松山市の市街地外れの山裾に鎮座しております。
御祭神 品田和気命(ほむだわけのみこと)・帯中彦命(たらしなかひこのみこと)・息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)・迦具都知命(かぐつちのみこと)
由緒
貞観年間(859年)京都岩清水八幡宮より勧請、当時の領主河野氏が崇敬したという。慶長6年(1601年)松山城主加藤嘉明、松山城築城にあたり現在の地に移し再建、八社八幡の一社として崇敬、道中安全を祈願した。
愛媛県神社庁公式サイト より
山の八社八幡の七番社。貞観年間(859〜877)、越智(後の河野)氏によって、石清水八幡を勧請して創建された。延久5(1073)年、国司の源頼義により八社八幡の一つに加えられたという。八幡神は神功皇后の伝説から弓矢の神となり源氏の氏神といわれた。河野氏も源氏と深い関係を持っていたので当社への尊心は厚かった。延元年間(1336〜1340)には後醍醐天皇の皇子懐良親王が武運長久を祈願したと伝えられている。慶長5(1600)年、関が原に出陣した加藤嘉明の留守をねらって河野氏の遺臣と毛利氏が来襲し、佃十成と戦ったとき、当神社に立てこもった河野一族は敗北し、社殿、宝物等すべてが焼失した。のちに、松山城に移った加藤嘉明が神社を再建し、八社八幡の一社として崇敬した。
『愛媛面影』に「旅行する人此社詣づれば必ず恙無くかえり来とて信ずる人多し。還熊と云ふ名によるなるべし。」とある。
松山市教育委員会
参道入口に立つ一の鳥居
社号標
参道
注連柱
境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(天保5年(1834)甲午8月吉日建立) |
拝殿
拝殿内部
本殿
鎮守社