松山市別府町604 (平成26年1月6日)
東経132度43分18.77秒、北緯33度50分37.28秒に鎮座。
この神社は、伊予鉄道高浜線・山西駅の南南西1km程の辺り、弁天山の北東すぐに鎮座しております。
御祭神 大日孁神(おほひるめのかみ)・猿田彦大神(さるたびこのおほかみ)・宇賀之御魂神(うかのみたまのかみ)・若皇産霊神(わくむすびのかみ)・保食神(うけもちのかみ)
由緒
文武天皇の御宇に役の小角が当地の丘に登り、此の地飯粒の形に似たり、五穀の神を奉斎すべしというて、潔斎沐浴し、五穀の神を鎮祭した。庶民は宮殿を建て飯岡神社と称えたという。後に、宇賀魂神が現れ稲種を老人に授け、此の地海に続くが吾を祀ること毎年欠くことなければ五穀を豊かにせんとの神託があった。国司は幣帛を奉り、例幣の列に加えて祈誓した。即ち海潮退き、難なく潮止めを築き、陸田とした。爾来河野家より、毎年五穀祭祀料十石を寄せられたと旧記に伝えている。明治41年4月11日神饌幣帛料共進神社に指定される。
愛媛県神社庁公式サイト より
参道入口
参道と注連縄
拝殿
左右の木鼻 | |
拝殿内部
本殿
仮殿 | 和霊社 |
稲荷社
天王社