護國神社

松山市御幸1-476 (平成26年1月6日)

東経132度46分34.93秒、北緯33度51分02.68秒に鎮座。

この神社は、松山城の北東1km程の辺り、城北公園南東すぐの辺りに鎮座しております。

御祭神
戊辰戦争以来の愛媛県出身の戦没者のほか、軍属、女子学徒、看護婦、電話交換手、報国隊、義勇隊、富山丸・東予丸犠牲者、警察官・消防団・自衛隊等の公務殉職者、公共に尽くして県民に恩恵をもたらせた先賢諸士として加藤嘉明・藤堂高虎・久松定行・伊達秀宗をはじめとする各藩の藩主、足立重信、建武の新政から明治維新に至るまでに国事に殉じて贈位を受けた者、産業功労者として義農作兵衛、下見吉二郎、鍵谷カナ、文化人として尾藤二洲、近藤篤山、矢野玄道、正岡子規などを合祀し、49727柱を祀る
ウィキペディア より

由緒
愛媛縣護國神社は、明治32年「私祭招魂社」として創建(現松山東署付近)され、大正2年新立町多賀神社に移設。その後、昭和14年内務大臣指定護國神社として、その創建が認められ、愛媛県民の総意により現在の社地を選定し、同年10月社殿竣工遷座申し上げました。社号は愛媛縣護國神社に改称、神饌幣帛供進神社、県社に指定されました。昭和20年7月戦災により焼失しましたが、復興奉賛会を創設し県内外の御遺族崇敬者の皆様方からの御浄財及び勤労奉仕により、昭和26年から造営に着手し、昭和30年10月現在の社殿が竣工しました。一時期、神道指令により社号を御幸神社と改称するも昭和27年9月平和条約締結により社号を愛媛縣護國神社に復称し現在に至っています。
当社公式サイト より

境内由緒書きや案内図はこちら。

境内の100m程南に立つ一の鳥居

参道。後は御幸寺山。

境内入口

神門

拝殿

僅かに伺う本殿


忠魂社

忠魂社を護る豚鼻の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和5年(1930)6月建立)
海軍戦没者慰霊碑 シベリア抑留者慰霊之碑