大山祇神社

今治市大三島町宮浦3327(平成20年3月24日)

東経133度0分22.57秒、北緯34度14分43.56秒に鎮座。

 この神社は、しまなみ街道・大三島のほぼ中央に鎮座しております。周りには道の駅あり、土産物屋あり、といった観光地風ではありますが、一歩境内へ足を踏み入れると、大木に囲まれた、如何にも神域といった雰囲気で流石伊予国一の宮です。

日本総鎮守大山祇神社
 大山祇神社は、瀬戸内海のなかでも特に景勝の地である芸予海峡の中央にいちして、大小の島々に囲まれた国立公園大三島に、日本最古の原始林社叢の楠群に覆われた境内に鎮座している。御祭神は大山積大神一座で天照大神の兄神に当らせられる。
 天孫瓊々杵尊降臨の際、大山積大神、またの名吾田国主事勝国勝長狭命(大山積神の擬神体)は女木花開耶姫尊を瓊々杵尊の后妃とし、国を奉られたわが国建国の大神であらせられるが、同時に和多志大神と称せられ地神・海神兼備の霊神であるので日本民族の総氏神として古来日本総鎮守と御社号を申し上げた。
大三島に御鎮座されたのは、神武天皇御東征のみぎり、祭神の子孫・小千命が先駆者として伊予二名島(四国)に渡り瀬戸内海の治安を司どっていたとき芸予海峡の要衝である御島(大三島)に鎮祭したことに始まる。
本社は社号を日本総鎮守・三島大明神・大三島宮と称せられ歴代朝廷の尊崇、国民一般の崇敬篤く奈良時代までに全国津々浦々に御分社が奉斎せられた。延喜式には名神大社に列し、伊予国一の宮に定められ、官制に依り国幣大社に列せられた四国唯一の大社である。現在官制は廃せられたが、地神・海神兼備の大霊神として千古に変わらぬ崇敬を寄せられ、全国に奉斎される大山祇神社・三島神社の総本社として、又数万点に及ぶ宝物類を蔵する国宝の島として四季を通して多数の参拝がある。
境内由緒書

現在の住所は今治市となってしまったが、嘗ては越智郡大三島。創建の頃は由緒書に登場する小千命の子孫、越智氏が支配していたのでしょうか。

境内案内図はこちら。

社号標と神社入口。

入口左右の狛犬。切れ長の目が大きい。阿は耳垂れ、吽は耳立ちです。拡大写真はこちら。

(文政8年(1825)2月吉日建立)

第二の社号標と狛犬。

昭和15年ですが、形式が古い気がします。モデルとなった先代さんが居たのでしょうか。拡大写真はこちら。

(昭和15年(1940)11月建立)

杜に囲まれた境内。

境内の楠。拡大写真はこちら。

神門前の狛犬。拡大写真はこちら。

(文化13年(1816)4月吉日建立)

神門

拝殿

拝殿内部

拝殿内、黄金の狛犬。

本殿左右

下津社 上津社

宇迦神社の拝殿と本殿。

大きな目で睨みを利かす玉乗り狛犬。拡大写真はこちら。

(明治27年(1894)3月吉日建立)

石神社 稲荷神社
地神社 院内荒神社

姫子邑神社

御鉾神社 八重垣神社・酒殿

今は閉められている脇参道を護るブロンズの狛犬。

祖霊社への石段と祖霊社。

五穀神社・八坂神社

葛城神社・祓殿神社・伊予国総社

御桟敷殿
この建物は御田植祭(旧暦五月五日)抜穂祭(旧暦九月九日)の両度、御神輿の渡御を申し上げ神田斎場祭を奉仕する御殿です。

斎田
大山祇神社伝統んお神事御田植祭(旧暦五月五日)と抜穂祭(旧暦九月九日)はこの神田に於て行われます。このとき、愛媛県無形文化財一人相撲が奉仕されます。