加茂神社

今治市菊間町浜1989(平成20年3月26日)

東経132度51分18.42秒、北緯34度1分52.64秒に鎮座。

 この神社は、菊間中学校の北300m程の辺りに鎮座しております。

御祭神:別雷命(わけいかづちのみこと)・建角見命(たけつぬみのみこと)・闇淤迦美命(くらおかみのみこと)・大山咋命(おおやまくいのみこと)

寛治四年(1090)堀川天皇の勅願により、それまで宮中武徳殿で行われていた競馬の儀式を、京都・賀茂別雷神社(上賀茂神社)で行う事となり、そのためには20頭の馬が必要であり菊万荘園地他、全国で19ヶ所の荘園地が定められ、その年貢が競馬の費用にあてがわれた。その荘園地となった社領鎮護のため、御分霊を奉斉したものと考えられる。・・・・・
境内由緒書より抜粋。全文はこちら。

同じ菊間町鎮座の貴布禰神社の創建が寛治四年、菊万庄鎮守。とあります。平安時代この辺りは菊万庄と言い、上賀茂神社の荘園だったようです。地図を見ると、菊間町に貴船神社・賀茂別雷神社等が在ります。

社号標と参道入口。ここから境内迄、今時珍しい未舗装道路です。理由は後ほど。

神社入口

拝殿

やや胴長短足の狛犬。拡大写真はこちら。

(石工・浅賀八五良 天保9年(1838)8月吉祥日建立)

本殿

飛び狛一対

長〜い参道が未舗装なのはこの為だったようです。「お供馬」神事。

「お供馬の走りこみ」という祭ごとは平安の昔、京都賀茂の雷神社(きょうとかものいかずちじんじゃ)で行われていました。当時は「競馬会(くらべうまえ)」と言われており、その「競馬会(くらべうまえ)」に、今治市菊間町(当時「菊万」と呼ばれていた)が馬を奉納したことにより今治市菊間町でも行なわれるようになったと言われております。今から約500年ほど昔より、家内安全、五穀豊穣を祈願する菊間祭で行われていました 正装された馬に、お祭り用の蔵や装飾具をつけ6歳から15歳ぐらいまでの子供が「乗子(のりこ)」となり鳥居の所から境内までの約300mを一気に駆け上がります。
しまなみ海道観光マップより。