今治城跡

今治市通町3(平成20年3月26日)

東経133度0分38.77秒、北緯34度3分40.49秒に鎮座。

今治城は、築城の名手、藤堂高虎により慶長七年(1602)に着工し同九年(1604)に完成しました。堀に海水を引き入れる日本三大海城の一つで大規模な近世の平城でもあります。また、日本で初めて層塔式天守が造られるなど、織豊期の城郭とは異なる革新的なものが認められます。
藤堂高虎は同時期に徳川家康の天下普請に乞われ、各地の築城の縄張りに関与していることから、今治城は徳川系(関ヶ原合戦以降)城郭の雛型と言われています。
築城当時は3重の堀があり、いわゆる総構えの城でありました。城の規模は現在の10倍以上であったと言われています。現存するのは本丸と二の丸、三の丸の城塁と幅約50mの内掘のみで昭和28年愛媛県指定史跡「今治城跡」に指定されています。
現在の天守は、昭和55年に市制60周年を記念して再建されました。5層6階の天守には、武具・甲冑・刀剣など今治藩ゆかりの品が展示されています。御金櫓は昭和60年に、山里櫓は平成2年に市制70周年記念事業により再建されました。
さらに平成16年から19年にかけて、今治築城・開町400年祭の記念事業として、総鉄板張りの鉄御門及び武具櫓、東多聞櫓、西多聞櫓、東西控堀の一連の建造物並びに明治期に取り壊された枡形石垣が市民の寄付により再建されました。
これにより、築城当時の今治城の勇姿が400年ぶりに再現されました。
城内説明板より。

教育委員会の由緒書と城内案内図はこちら。

社号標

今治城跡入口

今治城鳥瞰図。天守閣の左手が神社。入口は右下。

天守閣。馬上の人は藤堂高虎公。

阿は耳垂れ、吽は耳立ちと阿吽で異なります。ここ今治以外ではあまり見かけないタイプ。拡大写真はこちら。

(安政6年(1859)?月吉日建立)