今治市桜井6-2-1 (平成26年12月19日)
東経133度02分42.28秒、北緯34度00分58.89秒に鎮座。
この神社は、JR予讃線・伊予桜井駅の北東1.2km程の辺り、桜井の街中、海岸近くの広大な社地の中、名勝志島ヶ原の隣に鎮座しております。
御祭神 菅原道真神
由緒
菅原道真公は後醍醐天皇の御代、昌泰4年(901)正月25日にわかに大宰府へ左遷される。
同年(901)2月1日十挺櫓の屋形船にて配流の旅へつかれた。その途中予洲の迫門(壬生川沖)において風波の灘にあわれて御船あぶなき折り、広川修善(当神社宮司の先祖)と里人が一行を助け、今の志島の東端に漕寄せ岩上に御座所を設けたが、咄嗟の事にて敷物がなく、漁船の綱を丸く巻き円座の替わりとした。(この古伝により「綱敷天神」という社名となる。)
その時、菅公は濡れた烏帽子・冠・装束等を近くの岩上に干された。(後にこの岩を「衣干岩」と称す。)里人は折敷の上に鮮魚(小魚)をのせて献上し御安泰を御祝いした。
菅公は里人の厚意に感激され自ら梶柄に荒々しく御尊像を刻んで姓名を告げ「後日私が帰洛したならこれを証として都を尋ねなさい。もし筑紫にて没したと聞けば、これを素波神称し祭りなさい。」と申された。
郡司 越智息利により残された御尊像をこの地の南端に小社を建て素波神として祭り尊崇した。
この御尊像を御神体としてお祀りしたのが当社の創始である。享保5年(1720)6月28日 松山藩主 松平隠岐守より現在の地に社殿を建立した。
戦前は県社に列格され県内最大の天満神社として一年を通し、特に受験シーズンには菅公にあやかりたいと多数の学生の参拝があり、祈願絵馬も二千枚余り奉納される。
境内は33,000坪あり昭和16年には国の名勝地に指定され最近では日本の松原百景に選ばれた。人の手を加えない自然の松原は絶景である。
又その中に梅園(梅の木300本余)も整備されており、天神様の境内地にふさわしく花の咲く頃になると多くの参拝者、観光客でにぎわう。
境内由緒書き より。
由緒
菅原道真公が筑紫へ下向の時風波の難により当地へ流着され、郡司越智息利ら里人と共に道真公の至誠に接し、後に片身の神像を素波神と称して奉祀した。伊予旧記によれば天慶5年9月25日の創建と伝えられている。
元弘3年9月25日国主伊予守越智通村より神殿の再建と神田の奉納があり、河野一門の崇敬篤く、天慶5年素波神を綱敷天満宮と改称した。
正徳2年神仏分離により荒神社に合祀したが、享保5年6月28日松山藩主松平隠岐守により現在の地に社殿を建立した。
愛媛県神社庁公式サイト より。
参道入口
入口左右の玉乗り狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(年代不明) |
参道
社殿は右、南側向きに建っております。
拝殿
百度石。狛犬の拡大写真はこちら。
拝殿内部
本殿
志島ヶ原側より見る境内
正面を護る狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(享和2年(1802)壬戌2月吉祥日建立) |
拝殿正面
東側は燧灘
東側参道入口
参道入口の狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(昭和3年(1928)11月吉日建立) |
参道
厳島神社
風呂神社
荒神社・須賀神社
住吉神社
皇大神宮
田坂八幡宮