七百餘所神社

八千代市村上 (平成22年2月1日)

東経140度7分14.63秒、北緯35度44分7.46秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
この神社の社紋は九曜紋と月星紋、千葉氏一族縁の神社と思われる。創建が鎌倉時代後期とあわせて見ますと、はじめは妙見様を祀ってた?
弘安年間(1278-1288)とは、1281年に元、高麗軍が ふたたび北九州を襲う事件がありました。千葉氏も参加しています。
神社名は、この七百余の神々を祀る神社との云われと、米本城落城の落ち武者七百余人が自刃したからとの云われが伝えられています。

七百餘所神社 (シチヒャクヨショジンジャ)
御祭神 国常立尊
御由緒
弘安年間の創立鎮座で、明暦3年10月9日社殿造営された。宝永2年の改築後七百余所大明神と称したが、明治初年現号に改称された。現在の社殿は明治以降の建築。
千葉県神社庁公式サイトより。

神社入り口

参道途中の狛犬。堂々とした体躯、流れる尾っぽ。良く出来た江戸流れです。拡大写真はこちら。

(船橋石工・金子長重 天保6年(1835)乙未9月吉日建立)

拝殿

拝殿前の狛犬

向拝下の龍

(平成10年(1998)11月吉日建立)

この神社の社紋は九曜紋と月星紋、千葉氏一族縁の神社と思われる。

本殿

脇障子

太鼓をたたく人 竜笛(りゅうてき)、笙を吹く人

ここ七百餘所神社では古くから「村上の神楽」が伝えられているそうですが、古くはこれら雅楽の楽器が使用されたのでしょうか?

獅子山。拡大写真はこちら。

神楽殿

末社

元鳥居