飯綱神社

八千代市萱田476 (平成21年11月17日)

東経140度6分40秒、北緯35度44分2秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
此の神社は権現山砦の陣跡に作られています。
入り口の階段が急勾配で長いのが納得いく。高さ14mあるそうです。(裏の坂「女坂」というらしい)此の階段は安山岩製角材の五十八段,移設前は五十六段(少し緩やかになりましたね)。(解説板より)文明十一年に太田道灌(資長)が臼井・米本・小金及び庁南を攻めた時、ここに陣を置いたという。玉垣彫物は中国の故事、『二十四考』が彫られています。延享5年(1748)の作品。(解説板より)砦跡ですので周りの眺望はいいです。『北総平野を一望し展望に富む境内からの初日の出は,雄大・荘厳さを感じさせてくれる。』とのこと。
神社の名から飯縄権現(飯綱権現、飯縄明神)と関係あるのか、は不明。

御祭神 宇迦御魂命
例祭日 10/24
千葉県神社庁公式サイトより。

管理人の一言
神社庁公式サイトには殆ど書かれていません。しかし、御祭神の宇迦御魂命と言えば普通は稲荷神社の御祭神で神使は狐。飯縄大権現も狐に乗ったお姿で描かれています。明治政府の権現や明神号の禁止に従い御本尊を差し替え、神社にしたものと思われます。

“権現さま”とも呼ばれる飯綱神社は、新川を見下ろす萱田台地の突端にあります。45度?はあろうかと思われる急な階段を登っていくと、鐘楼が覆いかぶさるように見え、さらに進むと社殿があります。
飯綱神社には、次のような創建の話が伝えられています。
かつて太田道潅(室町時代の武将で江戸城を築いた人)が、米本城(臼井城という説もあります)を攻めたとき、この地、権現山に陣を張って戦い、その時、守り本尊である十一面観音菩薩に祈願し、「戦勝あらば尊像はこの地に埋める」といいました。そして苦戦しながらも勝利したので、その陣の北東の地中に埋めて引き上げていったといわれます。
それから約140年後、権現山で白狐が連夜17日間も泣き叫んだ後、村人に「我は飯綱大権現なり。昔、太田道潅の埋めた十一面観音の尊像が権現山の北東5尺の地下にあり、この世に再誕させれば、あまねく一切衆生を済度してくれる」という神託をしました。村人がその場所を掘ると、光り輝いた十一面観音が現れ、お堂を建ててこの像を安置したそうです。
それが社殿裏の観音堂(現在はありません)で、現在は飯綱神社となったということです。
旧、地域情報サイト「CityDO!」より。

神社入り口

飯綱神社鐘楼 八千代市有形文化財
文化十一年(1814年)に建てられ、萱田村長福寺の所有であった。何らかの理由で飯綱神社の所有となり取り壊しを免れた。
(解説板より)

嘗てこの権現山には塔や伽藍が建ち並んでいたのかも知れません。

鳥居

素晴らしい江戸狛犬です。1700年後半かと思われます。保存状態も良好に見えます。

拝殿

本殿

玉垣彫物

画題は中国の元の時代に作られた「二十四孝」。24人の孝行息子の話を集めたもので、「貧しくて蚊帳がなく、親の蚊を防ぐために、自らが裸となって蚊に吸わせたという話。」や孟宗竹のいわれとなっ た話「病母のため、冬に筍を取るために山の中に入って、神の加護により掘りあて母の病を治す。」と言う話など当時の儒教的な価値観が色濃く反映されているようです。

手水舎

飯綱近隣公園よりの入り口

裏参道を護る岡崎型狛犬