八街神社

八街市八街へ217 (平成26年11月3日、平成27年1月9日)

東経140度19分20.75秒、北緯35度38分01.33秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
場所 国道409号線が地方道22号線と交差する八街十字路から409号線を南下すること約2.5kmで道路右側に鎮座。

一度目は11月の祭礼で訪問したが、直前の不動院の撮影で電池を消耗してしまい、仕方無く鳥居と祭りの織だけ撮って退散。二度目は正月明けを狙っての撮影となりましたが、一月九日では参拝客も少ないようです。

御祭神 須佐之男命・稲田姫命・大己貴命

由緒
明治5年(1872)5月、武蔵野国北足立郡出身で八街、三咲、九美上などの開墾を率先して行った西村郡司氏が、家の氏神である大宮氷川神社の分霊を乞い、八街村 実住 字 氷川台ほ215番地 (現在の四区)に 祠(ほこら)をつくり、氷川様(ひかわさま)をまつったのが始まりです。そして明治6年(1873)11月23日、官許を得て産土神八街神社とし、個人の社から地元の社にかわり、明治13年(1880)11月2日、氷川神社の本社より改めて遷座を行い、本社の宮司が八街で遷座式祭儀を行い、この後、実住、東実住、住野、西林、夕日丘、真井原、小間子の鎮守となりました。明治27年(1894)、当時の合併による新八街村の村域と神社の位置を考慮して、西村家提供により現在の場所に当たる八街村八街へ217番地(六区) に遷宮し、村独立の11月2日を祭礼の日としました。
(以上 八街市資料より抜粋)

八街神社は明治6年11月、村民の希望により、元官幣大社氷川神社の御霊を勧請し八街村の産土神として祀っていたが、明治12年10月、戸長大久保正雄氏と西村郡司氏は氷川神社神官を再度招き盛大かつ厳粛な遷座祭を斎行した。
明治26年西村家より、現在地に土地11町歩余の寄進を受けて社殿を建立、明治27年11月3日遷座祭が斎行され、以後氏子崇敬者の心の拠り所として崇拝されてきた。・・・・

神社入口

祭りの幟

明治十六年のレプリカ。以上11月の祭りの時。

大正三年製鳥居

御神木

佐倉七牧のうち、柳沢牧は佐倉藩の預かり、小間子牧は幕府直轄でした。すなわち、この土手を境に八街神社側は小間子牧、不動院側は柳沢牧となっていました。境土手は、もっとも大規模であったことから ”大土手“とも呼ばれました。

大土手

記念樹石碑

イチョウの御神木

境内

手水舎

古礼納所

参道

石灯篭 明治三年氷川神社分祠 昭和三年製の還暦を祝いしての
奉納石灯篭

奥の石灯篭

狛犬と拝殿

拝殿前の岡崎型狛犬
(平成18年(2006)11月吉日建立)

向拝

神額

拝殿内部

本殿