清瀧弁財天

浦安市堀江5-6-17 (平成22年1月25日)

東経139度53分41.16秒、北緯35度39分2秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
清瀧弁財天については、次の言い伝えがあります。
明治44年(1911)6月14日。町山利郎と内田秋蔵の二人が、一番堤防から西へ少し離れたところを、一匹の白蛇が松の根元にある穴の中に消えていくのを見かけました。驚いた二人は、行者に伺いをたてたところ「その白蛇は、弁財天のお使いである。」と告げられました。
そこでふたりは弁天市という大工に依頼し、祠堂をつくり、弁財天を祀りました。

その一ヶ月後、暴風雨により流されたが、損傷無く発見され、元の場所に安置される。この頃から、参道に土産物屋が軒をつらね、境内は参詣人でにぎわったとのこと。
大正2年、拝殿を新築し、それまでの祠堂を奥の院にしました。
大正6年の大津波により、拝殿・社務所・茶屋・土産物屋などが倒壊し、祠堂は南行徳村の大六天様に漂着しました。
大正13年、拝殿・神楽殿を新築しました。
昭和30年代後半、地下水の汲み上げ等による地盤沈下により水没しました。
昭和55年、江東区深川の「冬木弁財天」をモデルに新しい拝殿が建設されました。
その後、庫裏、玉垣、池が完成しました。
(浦安 文化財めぐり より抜粋)

「大正6年の大津波」については「左右天命弁財天」を見て下さい。

この弁天様は古くは生身蛇形弁財天といったが、後年になり清滝弁財天と称するようになった。(解説版より)

この神社、創建は新しいのに波乱万丈の歴史ですね。賽銭箱、外には在りませんし、よく見ますと真ん中の木、二本新しい。不心得者がいたのかなと、想像してしまう。
復活途中で止まってしまったかのように、境内は寂しい。

神社入り口

手水舎

拝殿

拝殿内部。祝詞では無く、読経が相応しい雰囲気です。

鈴では無く鰐口 天蓋

賽銭箱