水神社

長生郡白子町南日当(みなみひなた)2298 (平成23年2月20日)

東経140度22分10.88秒、北緯35度27分46.29秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
この日は祭礼で町指定無形文化財の獅子舞が奉納される日。ここの獅子舞は江戸時代末期に山武郡から伝承したといわれている。場所が分からないのでうろうろしていたら、自転車に乗っていたお爺さんに遭遇し、場所を聞いたら偶然にもこの神社の関係者で、上手く辿り着けました。獅子舞は見られましたが、残念ながら狛犬さんは不在でした。

由緒
水神社は水波賣命を祭り慶長六年、時の領主加藤主膳守の時代に地頭守屋八兵衛が現在地に権現造りの本殿を建立した。その後享保二年卯十二月、時の代官坂上安右衛門が勘定奉行長坂孫七郎の許しを得て社殿を増築した。その後明治十九年に社殿の破損が甚だしかったので現在の社殿を新築したものである。当時九十九里海岸で、ながらみ貝の豊漁が続き、それらを売る商人達が祠(後の榎神社)を信仰し莫大な寄進をした。同じ頃広範囲にわたり疫病が流行し住民達の祠に対する信仰心が更に高まり多大の寄進を奉納したと云われている。それら奉納金の蓄積が社殿新築の資金源となり後に「ながらみ毘射」の名称の起因となったという。
(資料 故片岡賢司翁)
その後一○八年間経過し拝殿が再び腐朽化したので平成六年5月氏子一同によりその改築が実現されたのである。(平成六年六月 記)
(以上 神社由緒書きによる)

神社入り口

鳥居

拝殿

本殿


末社

明治二十五年製手水石

石碑

獅子舞用の道具 太鼓

祭礼の始まり

祝詞の奏上

獅子舞

獅子のお参り

お囃子。部屋の中で行われる獅子舞は、迫力ある演技と共にお囃子の音量も大きく圧倒されました。