長生郡長生村一松丙916 (平成24年1月4日)
東経140度22分23.65秒、北緯35度23分41.37秒に鎮座。
【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
国道128号線の宮原交差点から県道123号線を北上すること約2.3kmで、道路右側に鎮座。
1月4日は午後からおびしゃを行う日で、近所の方で賑わっていました。おびしゃを行う前に巫女による「浦安の舞」が奉納され、伴奏は雅楽の生演奏です。奉納額(地引網の画)から、昔この地域は漁業が盛んだったことが感じ取れます。また嘉衛五年製の賽銭箱にはビックリさせられました。意外に痛んで無いですね。
御祭神 高皇産霊尊・神皇産霊尊・建御名方命
由緒
往古、第六天神と称して大己貴命を祀った。寿永年間、木曽氏戦死の後、諏訪の某なる者が神器を抱いて来村、仮に諏訪神社を建てた。後世荒廃の末、第六天神に合祀、第六天諏訪大明神と称し、鎮守の神として崇拝されてきた。源頼朝が和田小四郎を代参として太刀一振、白旗一対を奉納。また延宝7年、地頭内藤上野之助が祭祀料として4石の土地を寄進し、御鞍一具を奉納す。明治維新の際、現在の祭神に改めた口碑あり。大正5年10月1日郷社に列格す。
(以上 神社の広場 神社探検隊より抜粋)
長生村 一松神社のお的神事
正月4日の春祭では、的を当てる場所により農作物の豊凶や稲の早生・晩生を占います。
和紙28枚を張り合わせて作った90cmのお的に、白と黒の6重の丸を描いたものを3本の竹で支えています。弓を射るのは神主です。お的を約15m位の所から射ます。第一の矢(神の矢)はこの年の吉凶を、第二の矢(早生の矢)は早生稲の豊凶を、第参の矢(中生の矢)は豊凶を、第四の矢(晩生の矢)は晩生稲の豊凶です。これらの神占により作柄を予想して種蒔きをします。
(以上 九十九里地域13市町村 観光情報より抜粋)
参道入口
文化十二年製の二の鳥居
石燈篭 | 御神木 |
御神木 | 末社 |
境内
素朴な江戸流れ。拡大写真はこちら。 左右の狛犬は、首と尻尾の周りのデザインが多少異なるようです。 |
|
(大正9年(1920)11月建立) |
拝殿
拝殿は慶長一九年(一九一四と書いてあるが、一六一四年が正解)に再建し、その後寛保元年(一七四一)に造営。
神額
拝殿内部
地引網の奉納額。一松海岸から太東岬方面を描いたと思われる地引網の絵。
伊勢参宮の図
一風変わった奉納額
これも漁の絵
向拝上部
左右の木鼻 | |
向拝
嘉衛五年(1852)製の賽銭箱。釘の頭が丸かった。
本殿右側
本殿左側
力石
忠魂碑
一松神社御的神事
拝殿内の的
浦安の舞
おびしゃの的
弓とムシロ
射る前。ムシロに座った状態で、拝殿内から矢を発射します。矢を射る前に、毎回大麻でお払いをします。
飛ぶ矢。
失敗した矢。梁に当って跳ね返ってきた矢です。弓も矢も手製なので、想像以上に当てるのは難しそうでした。
当らなかった的。今年は一発も当らなかったので、的は無傷でした。