諏訪神社

館山市正木4294(平成23年3月5日)

東経139度53分2.79秒、北緯35度1分16.48秒に鎮座。

 この神社は諏訪山(標高74m)の山頂に鎮座しています。其の南西麓に立つ一の鳥居はすぐに見つかったのですが、手持ちの地図に神社へと通じる道路が書かれていないので、大分ウロウロしてしまいました。その内に案内板が見つかり、其の指示に従ってぐるぐると回り道をしながら登っていくと、諏訪公園の駐車場へ行き着きました。ナビも雲の中の状態で方向感覚の良い我が夫も「何処をどう走ったか、皆目見当が付かなかった。」と言っておりましたが、要所要所に案内が立っているので、それを見落とさなければ、必ず行き着けるでしょう。。
 諏訪公園の駐車場に市指定天然記念物・諏訪神社自然林の案内があり、石段参道を上がり自然林の様子を観察しながら歩くと、二の鳥居が建立されている付近から、館山湾と西岬が良く見え、しばらく眺めていました。其の後も坂道の参道を上がっていくと石宮脇の東屋からは、西岬・館山湾を経て、相模湾・伊豆半島・富士山まで、くっきりと展望できます。晴れた日にはここが絶好のビューポイントの様です。
 「伊勢参宮資本金奉納記念碑」前から参道は左に曲がり、境内の入口となりますが、その左右に富士講祠と金勢様があります。
 境内には入口に手水舎があり、入口正面に社務所、下宮が配され、左側に狛犬が護る入母屋造りで向拝のない拝殿、彫刻類が素晴らしい本殿が建立されています。境内の周囲も素晴らしい自然林に覆われた、お奨めの神社です。

 御祭神:建御名方命、大国主命
 祭礼日:2月11日・祈年祭、9月27日・例大祭、11月23日・新嘗祭、12月31日・大祓
 境内社:下宮
 由緒:諏訪神社は延喜元年(901)、この諏訪山の地に創建されました。御祭神は建御名方命、下宮は父君の大国主命であります。
 御創建当時、諏訪山のふもとの集落は白浜郷と呼ばれ、村人は半農半漁の生活を営んでいましたが、しばしば大荒波に襲われ、その被害に苦しんでおりました。正月8日の夜、ある村人の夢に信濃の国の諏訪大社の神様が現れたので、村人たちがお社を建てて一心に祈ったところ、たちまち大荒波は静まり、一同は大層喜んだということです。
 その日以来、村人たちは霊験あらたかな当社を産土神、氏神として崇め奉り、一千百年を経た現在は正木地区(岡・本郷・川崎・西郷)の人々の心の拠り所となっています。
 また、諏訪神社は中世以来、里見氏や徳川氏より社領を安堵され、明治6年には郷社に列せられる等、那古地区では最も由緒あるお社であります。

神社遠景
諏訪山(標高74m)の山頂に諏訪神社は鎮座しています。
一の靖国鳥居
一の鳥居から境内まで約300m程参道は続きますが、途中に諏訪公園の駐車場があり、そこから下の参道は、現在は殆ど使用されていないのではないかと思われます。
諏訪公園の駐車場から見る参道付近の様子
やはり関東地方の中ではとても暖かいのでしょう、蘇鉄なども群落を作って育っています。植相が伊豆半島と良く似ています。
諏訪公園の駐車場からの石段参道
市指定天然記念物・諏訪神社自然林
自然林の様子を楽しみながら、石段の参道は続きます。
参道途中に立つ二の靖国鳥居
鳥居脇から見える館山湾と西岬
参道の様子
石宮脇の東屋からは、西岬・館山湾を経て、相模湾・伊豆半島・富士山まで、くっきりと展望できました。千葉から富士山を眺望出来たのは初めてで、思わず歓声を上げるほど興奮してしまいました。
パノラマ写真はこちらで
椎の木と大塚山古墳の石宮
正木岡地区の大塚山古墳(ひょうたん塚)の頂上にあったもので、昭和30年の中ごろに参道横に移転し現在地に安置されました。祭神等の詳細は不明です。
「伊勢参宮資本金奉納記念碑」前から参道は左に曲がり、境内の入口となります。
富士講祠 金精様
境内入口
境内の様子
拝殿前、明和9年生まれの狛犬
阿には宝珠が、吽には角が付いています。丁寧な造りで、姿も保存状態もとても良い、江戸尾立の逸品です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明和9年(1772)壬辰2月吉日建立)
入母屋造りで向拝のない拝殿
本殿
本殿彫刻類の拡大写真はこちらで
境内社:下宮(大国主命)
末社 社務所
震災復興記念碑 芭蕉句碑
「此神も いく世か経なむ まつの花
芭蕉翁 文酬敬書」
鎮守の森