日枝神社

館山市竹原850(平成23年3月5日)

東経139度55分2.06秒、北緯35度0分17.88秒に鎮座。

 この神社は国道128号線竹原口バス停から100m程北東で左折し、直線道路を北に800m進むと突き当たりに鎮座しています。
 豊かな森を背後に朱の両部鳥居が立ち、右手には嘗て山上の浅間様の傍らにあった千年の古木・びゃくしんが、150年前の落雷によって枯木になったので、この地に移されています。又、鎮守の杜は石段参道右側に聳えるご神木・大杉を初めとして植物相が多様で、重なり合うように樹木が繁る様は、一段と荘厳な雰囲気を醸し出しています。
 石段を上がりきった境内入口には昭和11年生まれの存在感溢れる狛犬がおり、正面すぐに芸術的な額が掛かる拝殿、本殿鞘堂が建立され、境内社や神輿庫?も見られます。

 御祭神:大山咋命、配祀:素盞鳴尊、誉田別命
 祭礼日:10月10日
 境内社:天満天神(菅原公霊神)、八雲社(素佐之男命)、大宮大神(大宮能賣命)、神明社(天照大神)
 由緒:古くは那古(内房)から清澄方面(外房)への往還沿いにあたる館山市竹原字山王に鎮座する神社です。
社伝によると仁寿2年(852年)、近江国(滋賀県)にある日吉大社を勧請し、慈覚大師が創建したと伝えられています。
 祭神は大山咋命で、配祀は素盞鳴尊と誉田別命です。別当寺が今宮山浄蓮院(宝珠院末)であったことから、今宮山王(今宮山王大権現)と呼ばれていました。明治政府の神仏分離令にともない、明治3年(1870年)に日枝神社と改称しました。
 この神社は、その昔治承4年(1180年)、安房に拠った源頼朝が再興を祈願したことから、建久6年(1195年)に祠堂を建立し、竹原・江田・中・御庄・山名の5か村から90石を寄進されたと伝えられています。後に里見氏も永正7年(1510年)に社殿を修復し、今宮山王分として広瀬村の内で5石を与えたとされ、更に徳川幕府からも引き続き高5石が安堵されました。また、稲村城の鬼門除けの社とされたという口碑や、頼朝との関係で同所横枕に摂社として源頼朝公霊神を祀る御霊社もあります。
 毎年10月10日の例祭では、大正時代までは社前で竹原・江田・中・御庄・山名の各村の人々を中心とした流鏑馬・競馬の神事が行われていました。 浄蓮院は41世まで続き、神仏分離令で廃寺になると日枝神社の神職になりました。この神社には祭神の本地仏である薬師如来(慈覚大師作)が祀られていましたが、分離令とともに現在は近くの宝樹院(真言宗)に安置され、安房国48か所薬師如来霊場の東口12薬師、第10番のお薬師様として寅歳に開帳されています。
(「たてやまフィールドミュージアム」より)

社頭
入口に立つ両部鳥居 鳥居に掛かる額
石段参道の様子
境内入口
境内入口に居る昭和11年生まれの狛犬
阿吽共に角があり、猛々しい顔で斜め上方を睨んでいます。鬣や尾は凹凸が激しく、全体的な感じが存在感のある派手目な印象を与えます。
狛犬の拡大写真はこちらで
(石工・館山地区楠見 俵徳次 昭和11年(1936)10月建立)
拝殿
拝殿に掛かる、明治32年に後藤義久が彫刻した芸術的な額
目貫彫刻・龍
木鼻・狛犬
拝殿内の様子
拝殿内にかかる額
「八幡大菩薩(誉田別命)」「山王大権現(大山咋命)」「熊野大権現(素盞鳴尊)」
本殿鞘堂
境内社:天満天神(菅原公霊神)、八雲社(素佐之男命)、
大宮大神(大宮能賣命)、神明社(天照大神)
本殿裏側の洞窟に置かれた幣 神輿庫?
石段参道右側に聳えるご神木・大杉
幹周:4.35m、樹高:30m