袖ケ浦市神納3382 (平成30年5月4日)
東経139度58分20.44秒、北緯35度25分24.21秒に鎮座。
【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
国道16号線福王台交差点から東南に約550m、JR内房線袖ヶ浦駅からなら東南に約1.4kmの高台に鎮座。一の鳥居は県道143号線沿いの袖ヶ浦高校の北側にあります。
率土(そっと)とは、この広く大きい天の下、広い地の果てまで、すべて王の土地であり、そこにいる人はすべて王の臣だ、という意味だそうで、丁度二の鳥居辺りから見た景観が由来と思われます。
御祭神 福王皇子
由緒
祭神埴安姫は天竺(インド)摩伽陀国磐古帝の后であったが、磐古帝の悪政によって国が乱れ、人民に国を追われて七人の王子と家臣大朝臣清麻呂とともに養老二年(718)に日本に漂着した。時の元正天皇のよって京に迎えられた后は、東国の民を鎮める為に下向した。天豊媛命と名を賜り、養老二年四月に京を発し上総国望陀郡飫富の里に着いた。土地の人々に迎えられた后は、神納の地に社殿を建てて住みつき天平二年(730)に六三歳で没した。聖武天皇は大明神埴安尊と尊号を下された。創建は天平三年(730)と傳えられる。本殿は延寶六年(1679)の修復。
(以上 率土神社の概要 及び御由緒による)
一の鳥居
社号標 | 神額 | 昭和五年製の石段奉納碑 |
二の鳥居
南方の景色
鹿野山。二の鳥居から見た景観。標高30m程度だが、想像以上の景観で、昔の人は驚いたと思う。
古墳
参道。参道の東側に古墳が鎮座しています。
神社入口と三の鳥居
社号標 | |
御神木
由緒
境内
岡崎型狛犬 | |
手水舎 | 寛政六年(1794)製の手水石 |
御神木 | |
参道の江戸流れ。拡大写真はこちら。 | |
(安政年間(1854〜1860)己未2月建立) |
天満宮 | 文久四年(1864)製石灯篭 |
史料殿
拝殿
向拝
神額
本殿
六社神社
手水石
六社神社を護る江戸流れ。拡大写真はこちら。 | |
(年代不明) |
石祠
延宝(1673〜1681)製の青面金剛 | 日吉大神 |
御神木が多いからか、御神木を称える石碑まで鎮座していました。