将門・口ノ宮神社

佐倉市将門町 (平成22年1月16日)

東経140度15分15.7秒、北緯35度43分24.6秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
今日千葉氏の本城、本佐倉城址へ行きました。一度は見ておかねばと、またおもしろい神社が近くにあるのも動機です。2社中、将門・口ノ宮を、お酒飲む前におくります。

将門神社 平親王将門大明神
 平の小次郎将門は平安の時代坂東の地に桓武六代の帝系として生まれました。
一族の横暴と都で栄華を極める藤原摂関政治のもとに苦しむ民衆のために決起し,瞬く間に坂東一円を治め平親王と名乗りましたが,志半ばにして非業の最期を遂げたと言われています。
死後多くの民衆から坂東の英雄として追慕する声が高まり各地に将門神社が建立されました。
 大佐倉の将門神社の創建は定かではありませんが,桓武平氏の同族である本佐倉城主の千葉氏により建立(敷地三百坪)されたと伝えられています。
石の大鳥居は三百五十年前佐倉藩主堀田正信公による奉献されたと記録されています。
奥の宮の桔梗塚は将門の愛妻の桔梗の墓といわれていますが,将門を偲びこの地には桔梗の花は咲かないと言い伝えがあります。

口ノ宮神社 口ノ明神
 江戸時代,高い税に苦しむ百姓を救うため将軍に直訴した佐倉惣五郎は義民として映画や芝居になり広く知られています。惣五郎百年忌に際し(二百五十年前)藩主堀田正亮公により口ノ明神に祀られ宝珠院が別当として祭祀を行ない,佐倉藩の保護の下に下総一円の領民に崇敬されてきたといわれます。
 大正八年本社拝殿等を失火により消失しましたが,地元大佐倉の氏子世話人有志により惣五郎の命日といわれる九月三日には宮なぎ行事として毎年供養と祭祀が行なわれています。石の大鳥居は佐倉市の指定文化財として観光マップのコースに入っています。
大佐倉将門口ノ宮神社再建の碑 (平成十三年)より。碑文の全文と文化財の説明はこちら。

千葉県成田市の成田山新勝寺は、東国の混乱をおそれた朱雀天皇の密勅により海路(陸路は日数を要す)下向した寛朝僧正が、対将門勢の士気を鼓舞するために祈祷を行ったとされる場所に、言い伝えによって建てられた寺院である。このため、将門とその家来の子孫は、1080年以上たった今でも成田山新勝寺へは参詣しないという。また、生い立ちにもある佐倉市将門に古くから住む人々も、参詣しない家が多く残り、かつて政庁が置かれた坂東市の一部にも参拝を良しとしない風潮が残るとされる。築土神社や神田神社(神田明神)の氏子も、成田山新勝寺へ詣でると、産土神である平将門命の加護を受けることができなくなるとの言い伝えにより、参詣しない者が多い。大河ドラマ「風と雲と虹と」の出演者も、成田山新勝寺の節分豆まきへの参加辞退をした。同じく、現在の千葉県市川市の大野地区にも、将門公伝説・縁の郷とされ、旧くからの地元住民は、成田山新勝寺には行かない・参拝をすると将門様の祟りが起こると、裏切った桔梗姫にちなんで桔梗を植えないといった言い伝えを、今でも聞くことができる。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より。

全景

佐倉市指定文化財の鳥居

社殿

岡崎型狛犬