妙見神社

佐倉市六崎1076 (平成29年5月14日)

東経140度13分56.93秒、北緯35度42分05.43秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
JR「佐倉」駅より南へ徒歩10分程の所に鎮座しています。旧社殿はケヤキの前に在り、ケヤキを隠していましたが、新社殿(少し大きく、少し立派に成った)はケヤキとの2ショットの写真が撮れます。3本の保存樹(ケヤキ)は、いずれも昭和51年(1976年)3月19日に保存樹に選定された時点で樹齢180年と推定されましたとのこと。今の時点で樹齢何年?。

御祭神 天御中主神(妙見神)

御由緒
天御中主命は天地開闢の際、最初に出現した神で、妙見神と混合し北極星に比定。妙見神は千葉氏の守護神であり、その系統の城郭には必ず祀られている。当社は千葉氏中興の祖千葉常胤の孫、六崎六郎左衛門尉胤朝がたんたん山(現大崎台の一部)に六崎城を築城した際に勧請したものと思われ、今より約820年前に遡る。
平成28年6月謹書

たんたん山
むかしむかしこの山の上に、六崎六郎という武士が住んでいた。大変立派なお屋敷の大きな門は、あけたてするたびに「ギーッ」と音をたてる。付近の農民はこの音を合い図に働いた。門の開く音をきくと、朝食を食べて田畑に行き、夕方には、この音で仕事をやめて夕餉の支度にとりかかるのだそうだ。武士の屋敷のことだから、農民はほとんどいったことなどないが、そこには清水が噴水のように湧き出て、やがて滝のように落ちて田んぼに続いていた。その流れは「たんたん」と流れていたので、だれ言うとなく「たんたん山」と呼ぶようになったという。そのあたりには今もなお、小さな清水が流れている。ちなみに六崎六郎は、千葉系図によれば、千葉常胤の孫胤朝、六崎六郎と称してここに住まい、六崎氏の祖となったが、その子は六崎兵衛尉、孫は六崎兵衛太郎と称したという。胤朝の叔父 日胤が三井寺におり、律静房と称しながら以仁王の軍に従い、自ら6人の敵兵を殺し、遂に光明山で戦死したのが治承4年(1180)であるから、六崎氏がここに住んでいたのは、やはり鎌倉初期であろうか。
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神社入口

ケヤキ

拝殿

本殿、月星紋

青面金剛坐像?