愛宕神社

佐倉市海隣寺町102 (平成29年6月16日)

東経140度13分35.39秒、北緯35度43分14.47秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
京成佐倉駅より徒歩10数分の所に鎮座しています。私は佐倉市六崎の妙見神社の由緒に「たんたん山」が出てきて、興味を持ち本を買おうと。「たんたん山 : 佐倉に伝わる話」をAmazonで買おうと、すると「この本は現在お取り扱いできません。」
佐倉市役所まで買いに行きました。購入後ここまで来たら裏の神社へ。市役所の駐車場を管理しているオジサンに裏へ行く道を尋ねました。教えてくれました。「足元に気をつけてな」「ヘビがでるぞ」境内撮影中の僅かな時間に、何人かの人が同じ道を下りて来ました。境内は近道の一部。

御祭神 火産霊命

御由緒
愛宕神社は京都愛宕山の本社をはじめ、東京の愛宕神社が有名ですが、東京芝の愛宕神社については、江戸の防火のために徳川家康の命で祀られた神社で「天下取りの神」「勝利の神」としても知られ、各藩武士たちは幕府に忠誠を誓う意味もあり、地元へ祭神の分霊を持ち帰り各地で地元の小高い丘に「愛宕神社」を祀ったとされております。
田町にある愛宕神社はもともと、佐倉城内 田町門側に位置しており、とりわけ将軍家からの信頼が篤かった土井利勝公をはじめ歴代の武士により祀られたと伝えられており、幕府崩壊後の明治時代初めの廃仏毀釈や兵営建設などにより現在の場所に移転をされ、田町の氏神として祀られております。
境内案内板 より

地図

神社の案内。当社の住所は海隣寺町ですが、すぐ西側が田町となっており、境界の変更があったのでしょうか。

写真00_2

写真01_1、参道入口

参道

手水舎

寛政十一己未年の手水鉢

参道

石に戻りつつある先代様
岡崎型狛犬

拝殿

絵馬

鞘殿


天満宮

納札所

写真08_1、脇参道入口

脇参道

石仏

稲荷神社

石塔

振り返って

境内入口

写真08_9、振り返って

たんたん山

六崎は若宮の坂のすぐ上、葦原に清水の流れ出ているあたりは、俗に「たんたん山」と呼ばれている。なんとおもしろい名前であろうか。
この名「たんたん山」の由来はこうである。
むかしむかしこの山の上に、六崎六郎という武士が住んでいた。大変立派なお屋敷の大きな門は、あけたてするたびに「ギーッ」と音をたてる。付近の農民はこの音を合い図に働いた。門の開く音をきくと、朝食を食べて田畑に行き、夕方には、この音で仕事をやめて夕餉の支度にとりかかるのだそうだ。
武士の屋敷のことだから、農民はほとんどいったことなどないが、そこには清水が噴水のように湧き出て、やがて滝のように落ちて田んぼに続いていた。その流れは「たんたん」と流れていたので、だれ言うとなく「たんたん山」と呼ぶようになったという。そのあたりには今もなお、小さな清水が流れている。
ちなみに六崎六郎は、千葉系図によれば、千葉常胤の孫胤朝、六崎六郎と称してここに住まい、六崎氏の祖となったが、その子は六崎兵衛尉、孫は六崎兵衛太郎と称したという。
胤朝の叔父日胤が三井寺におり、律静房と称しながら以仁王の軍に従い、自ら6人の敵兵を殺し、遂に光明山で戦死したのが治承4年(1180)であるから、六崎氏がここに住んでいたのは、やはり鎌倉初期であろうか。
佐倉むかしばなし より