小御門(こみかど)神社

成田市名古屋898 (平成19年12月2日)

東経140度21分43.01秒、北緯35度51分9.31秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
季節がら秋なので紅葉の綺麗な神社を紹介します。成田市名古屋の小御門神社は春はクマガイソウが咲き、秋は紅葉の綺麗な神社で植物愛好家には有名です。この神社の鎮守の森は千葉県の天然記念物にも指定されています。

場所は成田から佐原へ向かう51号線と79号線の交差する吉岡十字路を左折し滑河方面に7kmほど進んだ所の右カーブの手前にある小御門郵便局前が小御門神社です。

小御門神社は旧別格官幣社で贈太政大臣藤原師賢公が御祭神です。建武中興十五社の一社で、明治15年に社殿が造営され、明治天皇から小御門神社の社号を請け賜わったそうです。
ウイキぺディアでは明治12年に社号を請け賜り15年に社殿を造営となっています。

入り口鳥居について
入り口の鳥居が一の鳥居らしく見えますが、ここから3kmほど離れた滑河駅の近 くに鉄骨製で赤色の鳥居が有り、これが本当の一の鳥居となるそうです。

この神社は、茨城との県境を流れる利根川に架かる常総大橋の南3km程の辺り、小御門小学校のすぐ南側に鎮座しております。南北朝時代、南朝の皇族と南朝の忠臣を祀った「建武中興十五社」の一社で、御祭神の藤原師賢公は、元弘元年(1331)、後醍醐天皇の身代わりに比叡山で挙兵したが(元弘の変)捕えられ、元弘2年この地に流され、32歳で歿したという。明治の世になり、住民により師賢を祀る神社の創建運動が起こり、明治12年に神社創建の許可が下りて「小御門神社」の社号が決定され、明治15年に師賢の墓跡に社殿を造営したという。同年6月14日に別格官幣社に列したそうです。

旧別格官幣社で建武中興の礎となった藤原(花山院)師賢卿が御祭神です。後醍醐天皇の側近として活躍し、元弘の乱には天皇の御身代となり、比叡山に登り天皇を助けたが、事破れて元弘2年5月この地に配流され亡くなられました。
明治15年、社殿が造営され明治天皇から小御門神社の社号を賜りました。
環境庁・千葉県

平成24年2月6日1948さんよりメールを戴きました。一の鳥居や末社等、ここに掲載されていない所が報告されています。追加して再編集してあります。

平成24年1月25日 1948さんが撮られた一の鳥居と社号標。

神社入り口。確かに紅葉がとても綺麗です。

この杜は神社創建の時人工的に創られ、自然林ではありません。しかし百年もたてば自然林へとなって行くようです。

境内

紅葉の中の狛犬

(平成14年(2002)10月4日建立)

社殿全景

山岡鐵舟筆の水盤と拝殿

本殿

茅の輪を前後から。看板は、茅の輪のくぐり方の説明のようです。

とても景色の良い神社のようです。私も機会があれば是非参拝したいと思います。


以下1948さんよりお送り戴いた写真と文です。地図はこちら。

この神社も狛犬小僧先輩が報告ずみの神社です。ということで、「神社道」というかたちで途中の小さな神社(狛犬います)を含め報告させてもらいます。

大正7年発行「小御門神社誌」では、「別格官幣社(戦前まで続いた国の社格制度)小御門神社は千葉県香取郡小御門村(現在下総町名古屋)に在りて、元弘の忠臣贈太政大臣藤原師賢公を奉祀する。成田線滑川駅で下車すれば、神社までの距離わずかに二十町(2キロ)あまり、耕田の辺より青松の間の坂道を上れば西南遥かに富士の高峰聳え立ちて、小御門農学校(現下総高校)の前を過ぎれば鬱蒼として繁れる一帯の林間に、大鳥居を見出すべし。
境内には松、杉、欅、檜等の樹木緑深く枝を垂れて生い茂り、殊に春は桜花、雲の如く、秋は楓葉錦の如く、その間に清楚なる諸建物と参差し、幽静の趣深く、神さびたり。」
とありますので、私も成田線滑川駅で下車し「小御門神社道」を徒歩で行きました。駅から400m弱の所に一の鳥居があります。道の西側の大半はゴルフ場になっていました。途中、金刀比羅宮遥拝社を発見。小御門神社境内には前 日の雪が残っており、思いがけない冬景色。

金刀比羅宮遥拝社
遥拝社を守る江戸流れ、狛犬。

社殿


参道入り口

参道

社殿全景

拝殿

本殿

内部

御神木と祈祷殿

館内眞名井社

脇参道

御朱印