宗吾霊堂

成田市宗吾1-558 (平成24年2月3日)

東経140度16分58.24秒、北緯35度45分30.06秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
正式名称は鳴鐘山東勝寺。京成「宗吾参道」駅より徒歩15分程の所あります。駅よりR137までは歩道が整備されていますが、皆さん途中から近道の脇道に入っていきます(R135を歩く距離が短くなる)。境内に着くと人の列、先頭を見ると焼き芋が無料で配布されていました。成田市は日本有数のさつまいもの産地なのです。(まめまきが始まって、人が居なくなったところでもらいました)
境内には成田市のゆるきゃら「うなりくん」(うなぎと飛行機のハイブリット)がおり、園児に受けていました。僧侶達の退場にあわせて、はしご乗りが始まりました。

祭神? 佐倉宗吾(本名 木内 惣五郎)
縁起
当山の縁起は桓武天皇の時代に、征夷大将軍 坂上田村麻呂が房総を平定し、戦没者供養のため建立された真言宗豊山派の寺院です。
佐倉宗吾(本名 木内惣五郎)様は、今から350年前に佐倉藩国家老による暴政のため領民の救済を4代将軍 家綱公へ直訴し、その罪により公津ケ原刑場で磔刑(はりつけ)に処せられました。
この時、当山の住僧 澄祐 (ちょうゆう)和尚は遺骸を刑場跡に埋葬されました。現在のお墓がそれで惣五郎様の処刑後、佐倉藩はその失政を悔い、宝暦2年(1752年)、百回忌の時に堀田正亮(まさすけ)公は宗吾道閑居士の法号を諡号しました。
宗吾霊堂公式サイト>宗吾霊堂縁起 より

管理人の一言。
惣五郎は実在したらしい。しかし惣五郎一揆を証明しうる史料はないようです。又、将軍直訴の年代も、いくつかの説がありはっきりとはしないということです。
国立歴史民俗博物館のサイトがわかり易い。

駅の横。霊堂に到る参道。

大本堂

大本堂前の江戸流れ。拡大写真はこちら。
(大正9年(1920)4月建立)

薬師堂

薬師堂を守る、江戸流れ。拡大写真はこちら。
(慶応4年(1868)2月建立)

入場

園児&うなりくん。確かに成田は鰻と飛行機です。

梯子乗り

焼き芋

御朱印