八幡稲荷神社

習志野市東習志野2-6 (平成22年7月5日)

東経140度4分17.4秒、北緯35度41分21.93秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
京成実籾駅北口より徒歩10分、県道57号線に面してあります。塗りたて、と思える社殿でした。

御由緒
千葉介三代常兼の時、1107年千葉氏一族に内紛抗争起こり猪鼻城に住むを潔しとしない将兵が野に下り、実籾本郷に住み農耕を営み大宮・大原神社を創立した。その後当八幡前には下総古河に関係ある千葉氏一族が猪鼻城や千葉の町を灰燼にした(西暦1450年)前後に住みつきこの八幡宮を創立し再起戦勝を祈願したと伝えられる。
明治時代以降第15師団臨時駐屯しこの神社の丘を平坦にせしむと崩し始めるや怪我人続出、遂に工事長高熱を発し仆れる。さすがの陸軍省も神罰を恐れ軍の管轄より除外せり。師団内歩兵第五十八連隊第一中隊長信仰心厚くよく兵と参拝したが後年越後高田へ移駐と決定、八幡宮は連隊発祥の地なるを故となし守護神として高田連隊に遷宮す。然るに連隊内悪疫流行し連隊長大いに心痛す。或る夜稲荷夢枕に立ち「旧の御座に還りたき」とのお告げあり急遽北陸より着剣武装護衛のもと還御せり。されば猛威を極めた悪疫もたちまち霧散し一同改めて御神霊の尊さに戦慄したという。為に五八稲荷稲荷の称は今日にも及ぶ。明治43年4月土地・立木を本社大原神社に譲与合祀された。
境内由緒より抜粋。原文はこちら。

神社入口

参道

拝殿

本殿


国常立尊・秋葉大神

稲荷大明神

稲荷大明神

脇参道

遠景