流山市駒木657(平成17年8月7日)
この神社は総武流山電鉄・流山駅から278号線で東に向かい、いったん柏市に入り、又流山市に入り直した、すぐ左側に鎮座しています。私たちがいつも参拝している神社とは格段の差がある、大きな社地を持つ神社でした。この社は平城天皇の大同2年(807)に、この地方の開拓をした高市皇子の後裔によって、信州の諏訪大社から分社創建された神社で御祭神は建御名方命です。今も鬱蒼と茂った杜に守られて、下総の諏訪大明神又は諏訪明神、通称「駒木のおすわ様」という名で地元の人々に親しまれています。江戸時代には関東各地の人々が参拝に来るため、「諏訪道」と呼ばれる、谷中、茂田井、流山などを通るルートが出来ていたほどの賑わいを見せていたようです。
ここには狛犬が三対と一体、合計七体居ました。有名なのは文化勲章受章者・北村西望作の狛犬ですが、私たちが興味を持ったのは神門前の文政生まれの狛犬でした。この狛犬は親狛もさる事ながら子狛までとても丁寧に彫られ、その仕草がとても可愛く、私個人では今まで一番出来がよいと思っていた千住の狛犬よりも、子狛の出来の点で此方の方が上ではないか・・と思っています。
(平成8年4月23日建立)
(文政13年(1830)7月建立)
(昭和57年10月建立)
駐車場脇の鈴しょうわ狛犬
神社入り口
表参道入り口の一の明神鳥居
建立年代の分からない招魂社狛犬。狼のような精悍な顔立ちをしています。
神馬像。在来馬を模したのか
競走馬よりも小さめで短足です。
参道の二の明神鳥居
真新しい随神門
神橋と昔の舟形お手水
未だ参道は続きます。
参道途中の三の明神鳥居
参道途中左側にいた
一体だけの構え獅子
境内入り口の神門
源義家献馬の像。これは奥州に向かう義家が
馬の産地であった駒木で馬を集め戦勝を祈願
したという言い伝えにちなんだものです
親狛もさる事ながら子狛までとても丁寧に彫られ、又、その仕草がとても可愛く、私個人では今まで見てきた狛犬の中で一番の出来ではないか・・と思っています。
親狛がそっと添えた手が親の慈しみの心を端的に表し、子狛が後ろ足で耳の後ろを掻いているその仕草がとても可愛く彫りも丁寧です。大のお気に入りとなりました。
この神社で最も有名な狛犬です。狼のようなその顔と逞しい身体、この系統は余り好きではありませんでしたが、これは良くできていると思いました。
拝殿
後ろに微かに見えるのが本殿です
拝殿内の黄金の神殿狛犬
境内社
大島神社
恵比寿神社
国魂神社
稲荷神社
天神社