赤城神社

流山市流山6-649 (平成21年8月14日)

東経139度53分57.63秒、北緯35度50分43.15秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
流山の地名発祥伝説がある神社。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。元和6年(1620)再建。赤城山は標高約15m。数多くの神社のほか、波切不動尊などの石造物がある。大しめ縄づくりは市指定無形民族文化財。

標札<赤城神社の大しめ縄行事>  流山市指定無形民族文化財第三号
しめ縄は、神前や神聖な区域に懸け渡して内外を分け、不浄をさえぎるものである。赤城神社の大しめ縄は、十月十九日、二十日(現在は、第三土、日曜日)の祭礼に先立ち、神社の清掃や祝祭などが行われる十月十日(この日を宮薙みやなぎという)に氏子たちが力をあわせ作る。
稲ワラを打ち、縄をないで出来上がった大しめ縄は、長さ約十m、太さ約1.5m重量約三〇〇kgあり、近郊では屈指の大きさを誇る。
大しめ縄は現在では祭礼の後も取り除かれずに、一年の間人々を見守っている。<流山市教育委員会

赤城神社には、上州(群馬県)の赤城山の土あるいはお札が流れついたという伝説があり、「流山」という地名の由来とも言われている

管理人の一言。
かつては江戸川や利根運河を利用した水運で栄えた、ここ流山。上流の前橋との結びつきも強かったのでしょうか。多分流れて来たのは土やお札ではなく、富が流れて来たものと思われます。

参道入り口。1948さんは一体どこから境内に向かったのでしょうか。痴漢注意!とあります。

大注連縄が掛かる境内入り口

鳥居。左手は赤城山光明院。江戸時代は別当を勤めた、真言宗豊山派の寺院。

標高15米を登る石段

この時代にしては装飾が少なく個性的な顔立ちですが、阿は惜しいことに顔が欠けています。

(寛政5年(1793)癸丑2月建立)

拝殿と岡崎型狛犬

筑波神社

水神宮

松尾神社

針供養之神

手水舎

帰り振り向くと・・・・入る時もそうだったが、帰る時も何処から帰ったのでしょうか。