本織神社

南房総市本織(字宇戸)(平成23年3月5日)

東経139度53分57.29秒、北緯35度0分24.87秒に鎮座。

 この神社は本織地区を南北に貫く88号線の東、本織地区の南端近くに鎮座しています。周囲は長閑な田園地帯で、開放的な感じの神社は、社号標の立つ入口から境内へと遮るものが無く、総て見渡せます。参道右には山車庫のような建物があり、鳥居を潜ると正面に鞘堂を兼ねた拝殿が建ち、其の内部に本殿が建立されています。境内左後方には安房の生んだ幕末のすぐれた石工・「武田石翁生誕の地」碑が立っています。
 綺麗に手入れされた、気持ちの良い参拝が出来る神社でした。

 この社に案内は無く、御祭神・勧請年月・縁起・沿革等は全て不明ですが、同じ本織地区に同名社が鎮座し、其の由緒に次のようなことが書かれていました。(サイト「全国熊野神社参詣記」参照)
『由緒  不詳
 旧住所 安房郡国府村本織(大正十五年現在)
 この地も、新熊野神社(京都)の荘園であった安房国群房庄に属していた。
 昭和39年本織区にあった六社を、住吉神社の鎮座地に合祀した。六社とは、本織神社(字宇戸)、荒神社(字市場)、稲荷神社(字延命寺)、天満神社(字本織根方)、住吉神社(字番場)、熊野神社(字不入斗)である。熊野神社は字不入斗に鎮座しており、明和六年二月(西暦1769年)の創立で境内面積は259坪あったという。』
 これによると、こちら(字宇戸)が本織神社の旧社地ですが、昭和39年本織区にあった六社が合祀され、地名を冠した「本織神社という神社名で、住吉神社の鎮座地に合祀されたという事になっています。でも、現在この地にも神社が鎮座しているということは、其の後何らかの理由で復座されたということなのでしょうか?

神社全景
神明鳥居 社号標
境内の様子
拝殿
本殿
「武田石翁生誕の地」碑 神社裏の菜の花畑