岩井神社
南房総市高崎906(平成23年3月5日)
東経139度51分17.83秒、北緯35度4分58.21秒に鎮座。
この神社はJR内房線・岩井駅の南南東約750mに鎮座しています。
「奉幣社岩井神社」の社号標が入口に立ち、石畳の参道突き当たりから左に曲がると、境内の入口に「岩井郷総社岩井神社」と彫られた額が掛かる台輪鳥居が建立されています。境内正面奥に拝殿、本殿が建立され、周囲には岩井郷の総社の為、明治時代に近隣から合祀させられたと思われる、沢山の末社の石祠が祀られています。
又、境内右奥には源頼朝公や里見義堯公の故事に因み、弓道場が設置されていました。
御祭神:武速素盞鳴之命、大名持之命、少彦名之命
祭礼日:不明
境内社:恵比須神社、子安神社、熊野神社、山神社、神明神社、香取神社、安房神社、天満神社、厳島神社、錦華神社金刀比羅宮、若宮八幡宮、疱瘡神
境外末社:岩井神社御旅所、天満神社、雨宮之神、稲荷神社、諏訪神社、八雲神社、古峯神社、浅間神社
由緒:当社は旧号を岩井郷社牛頭天王と称し、武速素盞鳴之命・大名持之命・少彦名之命を祭る該社は、嵯峨天皇の弘仁9年、天下大いに疫病流行せしに、万民の為諸国に此の神を勧請する事を御許し有之依て、後一條院の御宇治安3年6月当所へ勧請したるものなり。
且って大将源頼朝卿石橋山御旗揚げの砌、わずかに七騎を以て当国へ御渡航の節、御来籠御祈願在らせられ、御開運の後、社殿御造営の上、神領御寄付相成。天文年中、里見刑部少輔義堯公社殿造営及社領若干御寄付有之。其の後、慶安2年12月7日大猷院殿より御朱印高四石御寄付相成。
以来、明治維新まで御代々先例の通り御寄付相成。明治9年奉幣社に列せらる。降って昭和53年千葉県規範神社として顕彰せらる。
「岩井神社御由緒」拡大写真はこちらで
社頭 |
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神社入り口と社号標「奉幣社岩井神社」 |
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境内入口に立つ台輪鳥居 |
鳥居に掛かる額
「岩井郷総社岩井神社」 |
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境内の様子 |
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拝殿 |
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拝殿目貫彫刻・龍 |
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拝殿木鼻と頭貫下彫刻 |
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拝殿内の様子 |
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流造りの本殿 |
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本殿、木鼻と手挟 |
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末社:恵比須神社、子安神社 |
末社:熊野神社 |
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末社:山神社、神明神社 |
末社:香取神社、安房神社 |
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末社:天満神社、厳島神社 |
末社 |
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末社 |
末社:錦華神社 |
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元灯籠? |
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ご神木 |
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